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2007/10/15


【美】 Bi The Character for Beauty

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 ヒツジを表す羊は漢字の要素としてよく見られます。古代にはよく儀式に使われた動物でもあるからです。善・美・義のような抽象概念を表す漢字の中に特に目立ちます。美の字体はヒツジ全体を示します。羊という字は角を含めたヒツジの上体の輪郭を表し、美の字体にはその下体、特に後脚が加わりました。羊を所有する人はすでにかなりの財産家です。
 多神教の世界では、神々に貴重で美しい自然界からの供え物をすることで、神の恩恵を得ようとします。最高の神には犬をささげるのが一番効果的だという考え方もありました。特に神の恵みを受けるための捧げものが大事になってくるのは裁判の時です。裁判は神の審判という形で行われましたので、争う両者はいろいろな神の試しを受ける羊を差し出しました。
 元々、文字は神と人との間のコミュニケーションの手段として成立・展開したという考えは白川文字学の出発点です。その立場から見ますと美は神に受け入れられる美、すなわち神が保証した美となります。面白いことに、東アジア以外にも、「世の罪を取り除く神の子羊」(聖書・ヨハネの福音書一・二九)、「私たちの過越の子羊キリスト」(聖書・コリント第一 一・七)などに羊を神のへの捧げものとする考え方があります。
 美についてのこの解釈は金文の字形に基づいていますが、もう一つの解釈の可能性もあります。金文よりさらに遡る甲骨文には、羽の飾りを頭につけている形と解釈できる字体もあります。残念ながらその意味を詳しく知ることはもうできません。
 
■美・金文(きんぶん)
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2007/10/12


虫喰い岩 Mushikui-iwa Mushikuiiwa Rock

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 和歌山県古座川町にある奇岩「虫食い岩」。国の天然記念物に指定されている。
 太平洋に面する熊野灘に流れ出る全長約56キロの清流、古座川。その中流あたりには、自然の造形美とも言うべき渓谷美が形成されている。七川ダムから下流に向かってつづく奇岩の渓谷が古座川峡。
 一枚岩や少女峰など、奇岩の形に合わせてそれぞれ名前が付けられている。この奇岩群のひとつが「虫食い岩」。自然の風化によって岩に無数の穴が開き、蜂の巣のような形をしており、自然の作り上げた芸術として見ごたえ充分だ。
 古座川渓谷は、県下でも一、二を争う桜の名所でもあり、春には奇岩めぐりを兼ねてお花見を楽しむ人々でにぎわう。
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2007/8/21


御櫃割 Ohitsu-wari Ohitsuwari

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 御櫃割(おひつわり)は江戸時代末期から続く、五穀豊穰、家内安全を祈る伝統的な農業祭である。「御鉢割(おはちわり)」ともいわれている。西尾市の無形民俗文化財に指定されていて、神明社境内で毎年一〇月に行われる。
 この神事はなかなか荒々しい。
 神前から受け取った赤飯入りのお櫃を、一五人の厄男達が受け取る。お櫃のふたが男達によって素手の拳でたたき割られると、参拝者達が先を争うように押し寄せる。この赤飯を食べると一年中無病息災で過ごせるといわれるからだ。
 厄男と大勢の見物客が入り乱れ、手づかみで赤飯を奪い合う様は、見応え充分の秋祭りである。
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2007/8/20


北國花火金沢大会 Hokkoku-hanabi-kanazawa-taikai 

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 七月初旬から九月の終わり頃まで、石川県の各市や町、約二〇箇所で行われる「北國花火大会」の中で、「北國花火金沢大会(ほっこくはなびかなざわたいかい)」は一、二を争う規模である。
 七月の終わりに石川県金沢市で行われ、毎年スケールアップする打ち上げ花火の総数は一〇〇〇〇発以上にものぼる。金沢の夜空を焦し、市内を流れる犀川(さいがわ)の川面を眩く照らす。
 犀川緑地で行われる、スターマインの五箇所同時打ちや滝仕掛けは素晴しく、大きな歓声が上がる。そして、息もつかせない一〇〇〇連発の乱れ打ちが始まると、怒号にも似た歓声が鳴り響いて止まない。
 周辺は四方に遮るものも無く遠くからも見物は可能だが、それでも毎年二〇万人以上の観客が訪れる、活気のある花火大会である。
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2007/4/9


防府天満宮御神幸祭 Houfu-tenmangu-gojinkousai 

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 防府天満宮御神幸祭は、毎年11月、山口県防府市、防府天満宮で行われる祭事である。
 菅原道真公が、防府に立ち寄った際に送迎を行ったことが起源とされ、別名を裸坊祭とも言われる。
 これは、祭事に供奉が許されなかった民衆が参加したいと願い、裸になり精進潔斎することで参加を許されたことが始まりである。
 天満宮の拝殿で開始され、雪崩れ込んだ裸坊により、御分霊が行われた先頭神輿、第二神輿、御網代輿が引き出され、参道の大石段を滑り落とす。同時に裸坊が駆け下り、触れれば所願が叶うとする御網代輿に触れようと争う。
 石段を降りた神輿は、御旅所を巡り、再び石段を上り天満宮への宮入を果たし、最後に大きな掛け声の一本閉めを行い、祭りを終える。
 勇壮極まる防府の秋祭りとして、多くの参加者を呼んでいる。
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2007/3/29


遠野しし踊り Toono-shishi-odori 

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 遠野しし踊りは岩手県遠野市に伝わる民俗芸能である。
 柳田國男の著書「遠野物語」の序文にも記された、遠野地方独特の踊り。
 江戸時代、参勤交代の帰途の際、駿州掛川で南部藩の家臣がその地に伝わる踊りに夢中になり、行列から遅れたことを問うた藩主に踊りを見せ、許されたことが縁起であるとされる。
 ししと呼ばれる架空の獣の面をかぶり舞い踊る。ししは大きな目と角を持ち、どろの木を削って作った「かんながら」のたてがみを振り乱して人と争うが、人を傷つけることはしないという。
 踊りの際に落ちたかんながらは縁起物とされ、拾ったものには福が訪れると言う。
 遠野地方各地に伝わり、現在も物語に記された舞が踊られている。
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2007/2/19


小高城 Odaka-jyo Odaka Castle

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 小高城は、福島県南相馬市小高区にあった平山城である。
 小高川の中洲に城を構えていたため、紅梅山浮船城とも呼ばれた、自然の要害地である。
 小高城は相馬氏の居城で、そのはじまりは定かでない。元亨3(1323)年、相馬重胤が下総国から太田の別所館に移ったが、その後小高城に居城を変えた。
 建武3(1336)年、相馬光胤は小高城を大改修し、以後相馬氏の本拠とした。
 南北朝の乱には北朝の重要な地位を占め、戦国時代は伊達政宗と激しく争いながらも生き残った。
 慶長16(1611)年、相馬利胤が居城を移り廃城となった。
 現在、本丸跡には小高神社があり、相馬野馬追い祭りにおいての野馬駆けの神事は見物である。
 小高城は、今や神社となり往時の面影はないが、長い間小高で慕われてきた城である。
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2007/2/12


夏越祭り Nagoshi-matsuri Nagoshi Festival

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 五穀豊穣と無病息災を祈願する宇佐神宮最大のお祭り、それが「夏越祭り」。別名「けんか祭り」と言われるほど激しい神輿の先陣争いが行われる。御祓会(おはらいえ・みそぎえ)とも言われる。三基の神輿が勇壮に激しく練りながら参道を進むのが見もの。
 初日は、三基の神輿を中心とした神輿行列が上宮から頓宮を目指す「お下り」がある。白装束の男達が神輿を担いで上宮を出発。境内を威勢良く練り歩き、その華麗で勇壮な様子は圧巻。神輿が頓宮に到着すると直ちに御神体が頓宮本殿に移され、御食川の川中に3本の幣串を立てて頓宮の東北隅で夏祭りの「祓」行事の菅貫行事(すがぬきぎょうじ)など古式ゆかしい神事が行われる。
 本来、神輿が出ない中日には若宮神輿担ごう会による神輿担ぎ等があり、最終日は神輿三基が上宮に環御する「お上り」がある。
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