NIPPON Kichi - 日本吉

2008/8/15

本證寺境内地 Honshou-ji-keidai-chi 

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 本證寺(ほんしょうじ)は、鎌倉時代後期、慶円(きょうえん)上人の創建と伝えられている。東隣の岡崎市の上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)とともに、真宗三河三ケ寺の一つとして大きな勢力をもっていた。
 寺でありながら、本堂や庫裏書院など重要な建築物には水濠をめぐらせてある。また見張り櫓を思わせる楼閣もあり、まるで城のようだ。村全体も濠で囲まれており、寺と村とが一体になった、強固な信仰集団が確立していたことが伺える。
 永禄六(1563)年秋に起こった三河一向一揆では家康と敵対し、一揆は西三河一帯に拡大した。半年後には、家康によって一揆は鎮められ、寺は閉鎖状態になるものの、一揆に起因する本願寺派寺院への禁制が解かれると本堂の再建を果たした。
 全国でも珍しい戦国時代の城郭伽藍であることから、本證寺境内地として県の史跡に指定され、所蔵の聖徳太子絵伝、善光寺如来絵伝は国指定重要文化財となっている。

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住所
444-1165 安城市野寺町野寺26外
名前
本證寺境内地
電話
0566-99-0221




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