洲崎館跡 Suzakitate-ato
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「洲崎(すざき)館跡」は、長禄元(1457)年、和人に対するアイヌの武装蜂起である「コシャマインの戦い」で勝を得た武田信広が、上之国守護・蛎崎季繁の養女である安東政季の娘を妻とし、新居として築いた館である。
その後、信広は地の利と景勝に優れる夷王山の麓に勝山館を築き、松前藩の基を作り上げた。明応三(1494)年に信広は64歳で死去したが、彼の子孫も着実に蝦夷地の平定を進めていき、後に松前氏と改姓して、江戸時代には蝦夷地を完全に統治するに至っている。
近年洲崎館から、中国製磁器や埋蔵渡来銭などが出土した。洲崎館は、武田、蛎崎氏が道南和人社会の中で支配者として成長する基礎を固めた重要な砦であるとともに、和人勢力の移り変わりを知るための貴重な史跡である。
その後、信広は地の利と景勝に優れる夷王山の麓に勝山館を築き、松前藩の基を作り上げた。明応三(1494)年に信広は64歳で死去したが、彼の子孫も着実に蝦夷地の平定を進めていき、後に松前氏と改姓して、江戸時代には蝦夷地を完全に統治するに至っている。
近年洲崎館から、中国製磁器や埋蔵渡来銭などが出土した。洲崎館は、武田、蛎崎氏が道南和人社会の中で支配者として成長する基礎を固めた重要な砦であるとともに、和人勢力の移り変わりを知るための貴重な史跡である。
- 住所
- 049-0600 北海道檜山郡上ノ国町字北村
- 名前
- 洲崎館跡