NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/24


養老の滝 Yoro-no-taki 

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 養老の滝(ようろうのたき)は、岐阜県にある風光明媚な滝だ。
 高さが30m、幅約4mの滝で、巨岩や老樹に囲まれた公園の奥深くにある。岩角を打って滔々と流れ落ちる水は清冽を極め、砕け散る飛沫が霧のように立ち籠める。夏は肌寒さを感じさせるほどだ。その見事な景観は名瀑の名に恥じない。日本の滝百選にも選出されている。
 また「孝子伝説」という話が伝わっている。親孝行な木こりの源丞内が、山中で滝を見つける。そこに流れる山吹色の水を老いた父に飲ませたところ、若返ったという。実はこの水、老父の大好きな酒であったとされる。この不思議な滝の出来事は都にも伝わり、奈良の元正天皇が早速この地に足を運んだ。自身で飲浴したところ「肌は滑らかになり、痛む所は治った。めでたい出来事で、これは老いを養う若返りの水」と言い、年号を養老と改めたとされる。
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2008/7/30


緑青色(ロクショウイロ) Rokushou-iro 

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 緑青色(ろくしょういろ)とは、色彩の種類の一つで、日本に昔から伝わる伝統色である。
 仏教伝来とともに中国から伝わった顔料で、孔雀石の粉末に水を加えて強く研ぎ、上層に浮き上がる細かい粒子を白緑、中層にたまる粒子を中緑、下層にたまるものを緑青と言う。
 岩絵具の顔料であり、昔から日本画の緑色として欠かせないものであった。
 また、古代から人工的に銅や青銅を酸化させて、表面にできる緑色の錆から採取する製法も存在する。成分はいずれも、炭酸銅と水銀化銅の混合物である。
 古来、絵画の緑色絵の具の代表的なもので、彫刻や建築などの塗装などにも広く用いられてきた。
 落ち着いた感じのする、日本に古来より伝わるくすんだ青緑である。
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2008/4/9


湧洞湖 Yuudou-ko 

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 湧洞湖(ゆうどうこ)は、北海道の帯広南東の海岸線にある湖。太平洋とつながっており、周囲約12kmの広さを持つ自然の宝庫だ。
 湧洞湖は海、山を一望できる自然に恵まれた湖である。周辺は鳥獣保護区域のため、たくさんの野鳥や水鳥が生息しおり、バードウォッチングにも最適だ。また、湖畔は原生花園で、ハマナスやヒオウギアアヤメなどのピンクや紫の可憐な花々を観察することができる。釣りにも適した湖で、一年を通して釣り人たちで賑わいを見せている。マリンスポーツも盛んで、水上バイクやカヌー等で遊ぶ若者たちの姿が見られる。
 湧洞湖は、豊かな自然の命をはぐくむ、母なる湖である。
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2008/3/6


常清滝 Jousei-taki 

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 常清滝(じょうせいたき)は、広島県三次市作木町下作木にある落差126mの滝である。日本の滝百選のひとつに選ばれている。
 江の川の支流、作木川のさらに支流にかかる滝で、中生代白亜紀中期に噴出したとされる流紋岩の断崖にかかり、春の新緑、夏の涼風、秋の紅葉、冬の凍結と四季を通じて美しい姿が見られる。
 瀑水は三段に分かれ、上が落差36mで荒波、中が落差69mで白糸、下が落差21mで玉水と名付けられている。
 大きな落差がありながら、滝壺がほとんど発達していない事も常清滝の特徴で、滝より上流の流域は極めて狭いため、水量は少ない。
 しかし、ひとたび大雨が降るとたちどころに水量を増し、寒波がくると凍結するなど、その表情が多彩に変化するのがこの滝の最大の魅力と言える。
 常清滝は、豊富な緑と美しい渓流を持つ瀑布である。
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2008/2/27


数寄屋造り(すきやづくり) Sukiyazukuri 

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 数寄屋造り(すきやづくり)は、日本における建築様式の一つであり、数寄屋と呼ばれる茶室建築の意匠を取り入れた建築様式のことである。
 そうした茶室は安土桃山時代頃から見受けられ、これは格式を重んじた「書院造」も確立されだしたころと同時期でもある。
 茶人を初めとした風流を愛する「数寄者」達は、格式ばった意匠や重厚で豪華な装飾を施す書院造を嫌い、シンプルで軽妙な数寄屋を好んだのである。
 茶人として名高い千利休によって完成されたといわれ、書院建築に見られる格式や様式を極力排し、シンプルかつ洗練された意匠になっていることが特徴であり、床の間の上にあり、柱を水平方向につなぐ長押(なげし)を排したり、それに合わせて床の間も小規模なものになっている。
 また、内部空間に落ち着きと静かさをもたらすことを狙って、庇(ひさし)が長めに造られいるのも特徴だ。
 数寄者の先人達は、庇から垂れ込める影にも風流を見出していたのかもしれない。
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2008/2/12


清水谷公園 Shimizudani-kouen 

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 大都会のオアシスとして親しまれている清水谷公園(しみずだにこうえん)は、この地に建てられていた大久保利通遭難記念敷地一帯を寄贈されたのを受け、当時の東京市が都市計画を決定し、明治二三(1890)年三月に開園した。
 自然の地形が残されており、開園当時から藤や桜などの四季折々の景色を楽しむ人々で賑わったという。現在でも、大久保利通公への哀悼の意を示すために建てられた、大久保公の追悼碑の周りには多くの樹木が配置され、緑豊かな公園として残されている。
 清水谷は江戸時代の紀伊家、井伊家の屋敷の境にあったとされ、この境が谷であったことや、紀伊家屋敷内に水が湧き出ていたことから、清水谷という名前がついたとされる。園内には、江戸時代の水道に使われていた玉川上水石枡(たまがわじょうすいいします)が展示されており、水との縁が深い土地ということを感じさせる。
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2008/2/5


世古峡 Seko-kyou Sekokyo Gorge

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 世古峡(せこきょう)は、狩野川の源流にあたる猫越川沿いに約1キロメートル続く渓谷のことをいう。猫越川と本谷川が合流し、狩野川になる地点に架けられている出会い橋より東西に延びている渓谷で、春の新緑や秋の紅葉の季節はとくに美しい光景をみせる。
 また、天城山麓に逆まく瀬戸の水簾とも讃えられている。
 この渓谷は、湯ヶ島温泉郷のなかにある。湯ヶ島の温泉街から世古峡へ続く「湯道」は、昔湯ヶ島の人々が共同浴場へ向かうときに歩いた道だといわれている。
 湯道の周辺は文学の道としても知られ、川端康成をはじめ与謝野晶子、井上靖、梶井基次郎、若山牧水など多くの歌人、文人の歌碑を見ることができる。
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2008/1/30


瀬尾観音三滝 Sebi-kannon-mi-taki 

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 瀬尾観音三滝(せびかんのんみたき)は鹿児島県西北の下甑島(しもこしきじま)の瀬尾川上流にあり、55メートルの高さから三段になって落ちている滝である。
 瀬尾川周辺は江戸時代に郷土が居宅した場所で玉石垣の名残があちらこちらに見られる。滝壺近くには観音堂が祀られており、「川の水は甘露であり万能の薬水である」という評判が広まり、わざわざ遠方からこの水を求めて訪れる人も多かった。
 夜になると満天の星空の下、景観に合うように控えめのライトアップがほどこされ、神秘的な青白い水のヴェールが映し出される。
 周囲は休憩所、展望所、河川プール、グラウンドゴルフ場、ガラス工芸品などの施設とキャンプ場が整備されていて、夏は人気のスポットになる。
 また礫(れき)の多い急斜面には国の天然記念物指定のヘゴの群落がみられ、自然の豊かな地だ。
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