石巻城址 Ishinomaki-joushi
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石巻城址(いしのまきじょうし)は、宮城県石巻市日和が丘にある城跡である。
旧北上川河口西岸にそびえる日和山を利用した大規模な山城で、別名・日和山とも呼ばれる。
文治五(1189)年の奥州合戦の恩賞として、源頼朝の家人・葛西清重(かさいきよしげ)は、牡鹿郡(おしかぐん)ほか数か所の所領を給付された。
石巻城は鎌倉初期に葛西清重が築造したと伝えられるが、葛西氏の第4代、清経以降に築かれたとも言われ、詳細は定かではない。
以後、天正一八(1590)年に豊臣秀吉によって滅されるまで約400年の間、石巻の日和山は、葛西氏の居城があったところという伝承が残っている。
現在、日和山公園として整備され、一部が鹿島神社になっており、桜・ツツジの名所として知られる。
石巻城址は、石巻の象徴とも言える古代城跡である。
旧北上川河口西岸にそびえる日和山を利用した大規模な山城で、別名・日和山とも呼ばれる。
文治五(1189)年の奥州合戦の恩賞として、源頼朝の家人・葛西清重(かさいきよしげ)は、牡鹿郡(おしかぐん)ほか数か所の所領を給付された。
石巻城は鎌倉初期に葛西清重が築造したと伝えられるが、葛西氏の第4代、清経以降に築かれたとも言われ、詳細は定かではない。
以後、天正一八(1590)年に豊臣秀吉によって滅されるまで約400年の間、石巻の日和山は、葛西氏の居城があったところという伝承が残っている。
現在、日和山公園として整備され、一部が鹿島神社になっており、桜・ツツジの名所として知られる。
石巻城址は、石巻の象徴とも言える古代城跡である。
- 住所
- 986-0833 宮城県石巻市日和が丘2
- 名前
- 石巻城址