NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/22


千尋岬の化石漣痕 chihiromisakino-kasekirenkon 

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 足摺岬の西、高知県土佐清水市の三崎地区には、三崎層群という約2000万年前の地層が分布している。浅い海に、砂岩と泥岩の互層が堆積したものである。
 ここの千尋岬(ちひろみさき)にある砂岩層の表面には、地層が単一方向に傾いている単斜構造の化石漣痕(かせきれんこん)が、200メートルにも及ぶ範囲に広がっている。
 漣痕とは、浅い海底の砂の表面にできた漣(さざなみ)の跡のことをいう。
 波の化石である。
 昭和二八(1953)年、国の天然記念物に指定された。
 そのほか三崎層群の中には、生物の痕跡がみられる生痕化石もあり、このあたりの太古の地面の記憶を今に伝えている。
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2008/6/25


高妻山 Takazuma-yama 

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 高妻山(たかづまやま)は、戸隠山の北側に位置する、戸隠連峰の最高峰で、標高は2353メートルである。地元では戸隠山を表山、高妻山や乙妻山を裏山と呼んできた。
 長野県と新潟県にまたがり、地層に貫入したマグマが固結した「ひん岩」と呼ばれる岩石からなっている。
 周囲には戸隠山をはじめ、飯綱山、黒姫山などが並び立っているため、平野部からはからはなかなか望むことができない山である。
 登山道は戸隠高原からのみとなり、山中には有人の山小屋もないので日帰りでの往復となる。行程も長くアップダウンも多いので、体力と時間を要する山である。
 登山道の要所には、一不動・二釈迦・三文殊・四普賢・五地蔵・六弥勒・七薬師・八観音・九勢至、そして頂上に十阿弥陀と記した標識と石祠があり、修験者たちの修行の山であった昔を偲ばせる。
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2008/4/4


雄飛滝 Yuuhi-daki The Yuhidaki Waterfall

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 静岡県の伊豆市修善寺町北端にある山田地区に、雄飛滝(ゆうひだき)がある。
 沼津と修善寺の境にある滝で、全長30メートルあり、上段20メートル、下段10メートルに分かれている。
 この地方独特の地層で、石を積み上げた様な岩肌を流れる美しい雄飛滝は、滝の下に不動明王を祀っている。
 近くの山道には八重桜の並木があり、4月の下旬に満開の花を咲かせる。また滝へ降りる道沿いにはあじさいが植えられ、6月には別の美しい姿を見せる。
 また冬になると見事な氷柱となってあらわれ、上から突き刺さるような感じで尖った先端がこちらを向いている状態がみられる。普段激しく落ちる滝が、時が止まったような氷柱となり、夏と冬では全く対極する景観となる。
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2007/9/18


橋牟礼川遺跡 Hashimure-gawa-iseki 

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 橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)は、鹿児島県指宿市十二町にある縄文時代~平安時代にかけての遺跡である。国の史跡に指定されている。
 縄文時代は弥生時代よりも古く、縄文土器と弥生土器を使っていた人々は部族が違うのではなく、時代が違うという、今日では当たり前のような事を初めて立証した遺跡として有名である。
 先史時代のポンペイとも呼ばれ、5~6世紀の遺跡とは別に、貞観一六(874)年に開聞岳が大噴火した時の、火山灰で倒壊した建物跡や畑の跡、道の跡など、当時の集落がそのまま眠っている。
 現在、約2ヘクタールが史跡公園として整備されており、8世紀後半頃の竪穴式住居が4棟復元されている。また、貝塚や地層を見学できる展示施設も存在する。
 橋牟礼川遺跡は、古代日本を知ることが出来る貴重な遺跡である。
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2007/8/7


モヨロ貝塚 Moyoro-kaizuka 

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 網走市街を流れ、オホーツク海に注ぎ込む網走川の河口左岸の丘陵地帯に「モヨロ貝塚」はある。
 ここは1300年程前に、サハリンなどからオホーツク沿岸に移住してきた先住民族「オホーツク文化人」の最大の遺跡とされ、約3ヘクタールの場所に大きな五角形の住居をはじめとした27箇所の竪穴住居跡があり、国の指定史跡になっている。
 アイヌ文化以前の人々の暮らしは、オットセイやアザラシを狩猟し、それを解体、油を作るなど多くの人々がチームを編成し行っていたことが伺われる。また、骨や牙に彫った動物像、細い優雅な線文様の土器、油を入れていたオホーツク土器などが見つかっている。
 更に青銅の鈴や鐸、帯飾りなども出土され、大陸との交流もあったことが伺える。
 貝塚前に立つ丸太小屋風の建物は「モヨロ貝塚館」で、オホーツク土器や石器、動物の骨格器などや貝塚の地層断面の模型を見る事ができる。
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2007/7/27


埋木細工 Umoregi-zaiku Umoregi-zaiku (Bogwood Carvings)

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 埋木細工(うもれぎざいく)は、宮城県仙台市の青葉山に今も伝わる伝統工芸である。
 その青葉山から炭化した「埋木」が発見されたのは、文政五(1822)年のこと。仙台藩の足軽武士・山下周吉が発見し、様々な工夫を行い、器や神饌の下敷きに使用される掻敷(かいしき)を作ったのがその始まりといわれている。
 埋木とは、三百万年~五百万年前の地層から採掘された、針葉樹の炭化した珪化木(けいかぼく)という、いわゆる植物の化石であり、石炭になる一歩手前の状態のものである。
 全国的にも類を見ない特異な工芸資材であり、今では入手も困難なものもある。
 木などを刃物で刳る刳物(くりもの)技法が用いられ、拭漆(ふきうるし)にて艶出を行う。7~8回繰り返し拭きあげると、木とは思えないような深い光沢と重量感あふれる作品が誕生する。
 伊達藩下級武士たちの内職として彼らの懐を暖めた技術は、数百年の時を経て芸術の域にまで到達し、今も私達の目を楽しませてくれる。
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2007/7/12


三州瓦 Sansyuu-kawara Sanshuu Tiles

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 愛知県三州地方にある日本三大瓦産地のひとつ。
 その歴史はあきらかではないが、588年頃とされている。古書に瓦博士と訳せる言葉があり、この頃には日本に存在したとされている。三州では1700年ごろに産地として形成されたと言われている。
 安城市、豊田市、瀬戸市などから良質の粘土が浅い地層で採取できることや、地理上、日本の中心に位置する事などから、一大産地を築き上げた。
 種類は大きく4種類に分かれ、いぶし瓦、釉薬瓦(陶器瓦)、無釉薬瓦、塩焼瓦となる。1130度の高温で13時間から16時間焼かれることで、強い瓦の製作が可能である。
 当初は手作業で1枚ずつ焼いていたが、今は機械化が進み、工場生産で作られている。 また環境問題から、リサイクル、ソーラー瓦などに対応する新しい技術も開発されている。
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2007/7/4


鮪の岬 Shibi-no-saki 

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 鮪(しび)の岬は、北海道の渡島半島にある岬。鮪はマグロのことを指す。
 安山岩の柱状節理で、正六角形の岩肌が重なり、奇妙な地層を作り出している岬だ。岩肌がマグロのうろこのように見えることや、岬の形がマグロの背に似ていることから、この名前がついたと言われている。この岩石が柱のように並ぶ柱状節理は、溶岩が固まる際に結晶化したものだとされる。
 昭和四七年には北海道天然記念物に指定され、北海道自然百選にも選定された絶景ポイントである。
 この岬の小高い丘の上にある「鮪の岬公園」には、約300本のソメイヨシノが植えられており、4月下旬~5月上旬の開花期に、桜祭りも開催される。
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