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2008/8/4


【徳(德)】 Toku, Tadasu Virtue

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 「徳」の字が表す元の意味は、後世の「徳」の倫理概念ではなく、原始的なアニミズムと呪術の世界へ戻らなければなりません。
 「行」という字は縦横の交差点を象っていますが、「徳」の部首となっている「彳」は、「行」の左半分、つまり分岐を意味します。人が多く通る場所であり霊的に大事なところです。自然にほかのところより事故が多発するので、悪霊をはらう対象にもなります。
 旁(つくり)の横向きの「目」の上部は「蔑」や「省」と同じように呪飾を表しています。「省」はある地域・国に対しての武威をあらわすものですが、「徳」の右上の部分と同じ由来をもち、呪力のある目で見回ることを表しています。特に「徳」の字は、「彳」の要素を持つことから、呪飾の目の威力で行われる巡察の対象が、交差点や分岐にある悪霊であり、それを祓いただすことを示します。
 一般的に旧字体のほうが古代の字体に近いのですが、この「徳」は、旧字体よりも一画少ない常用漢字の字体は金文に近い形です。
 さらに初めて「心」の形が加わったのは、殷から周への革命の直後、西周前期の青銅製の器である「大盂鼎」(盂はこの鼎を使った殷の人の名前)に刻まれた290字の長い銘文で、その時から「徳」の意味するところが、目の呪力より精神的・内面的な方向へ変わりました。
 
■右 徳・甲骨文(こうこつぶん)
■左 徳・金文(きんぶん)
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2008/7/2


小武川渓谷 Komukawa-keikoku 

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 小武川渓谷(こむかわけいこく)は、山梨県の甲府盆地の北西、鳳凰三山の東麓にあり、同山を源流とする小武川が流れる渓谷だ。
 甘利山を源流とする「ゴア沢」と小武川が交差する地点の上流およそ6kmほどの渓谷で、南アルプスの前衛である鳳凰三山の登山口がある。
 標高1000m近い高地にあるが、登山口にはキャンプ場もあり、山へのアプローチのために訪れる人も多い場所であり、また、紅葉の名所としても知られている。
 季節になれば、渓谷に広がるナナカマドやカラマツの紅葉が、無数に転がる白い岩と清流を美しいまでに染め上げる。
 上流には小武川の支流が流れるドンドコ沢や南精進ヶ滝、鳳凰の滝、白糸の滝、五色ヶ滝などのいずれも数十メートルの落差を持つ滝もあり、季節を問わず、山と渓谷が織り成す大自然を堪能できるだろう。
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2008/2/7


茶室 Chashitsu 

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 茶室(ちゃしつ)の歴史は室町幕府の八代将軍・足利義政が、京都大徳寺の一休禅師の門下、村田珠光(むらたしゅこう)と能阿弥(のうあみ)とその子芸阿弥(げいあみ)孫の相阿弥(そうあみ)の四人とともにそれまでとは違う、茶会の作法を編み出した時にはじまる。四人は広い座敷の中に一丈(十尺四方)の屏風で囲み、茶の道具である台子を前に行う台子手前で茶礼を行った。これが茶室のはじまりである。
 村田珠光の時代は書院風茶室であったが、武野紹鴎(たけの じょうおう)の時代には四畳半の茶室がつくられた。その後、千利休の時代になると屋根の形は入母屋から切妻へと変わり、壁も土壁、格子も細竹の連子と草庵の茶室に変わっていき、さらに、三畳から一畳半の広さで行う侘茶の作法と変わっていった。
 その後江戸時代にかけて活躍した古田織部(ふるたおりべ)が床の間をもつ四畳半台目の席を考案し、徳川将軍家の茶道指南役であった小堀遠州が完成させた。
 茶室とは日本文化が作り出した美と意識の交差する空間である
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2007/11/22


文様 分銅繋ぎ(フンドウツナギ) Monyou Fundou-tsunagi 

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 分銅繋ぎ(ふんどうつなぎ)とは、天秤秤の片側の皿に載せて使う、銅製のオモリである分銅の文様を連ねた和文様である。
 和文様とは、平安時代以来、公家の服装・調度品や装飾に用いられた形、色、構成などに独自の優美な様式を持つ図柄の総称である。
 分銅というのは、宝尽しの文様にも含まれる縁起物とされている。
 昔の分銅の形は円形で、左右が弧状にくびれた形のそのバランスが美しいことからも文様や家紋に好まれ、分銅の形をかたどった色々な器物なども作られた。
 波線が交差してできあがる幾何学模様で、実際に分銅を並べて書き写した文様というよりは、波線の交差した幾何学模様に分銅の形を見い出したものといえる。
 文様・分銅繋ぎは、吉祥文様として家紋に好まれて使用された、伝統的な和文様である。
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2007/9/7


羅 Ra 

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 羅(ら)は羅織とも言われ、隣り合う経糸が搦み合って、まるで編み物のような特色を示す綟り織(もじりおり)の一種であり、そうした綟り織の中でも最も古いものと考えられている。
 通常、織物では経糸は平行し、交わることはないが、羅では隣り合った経糸同士が交差する。そして更に隣の経糸とも交差し、網目状に広がっていく特色を持つ。その様が「編み物」と表現される由縁である。
 中国や南米ペルーに紀元前からあるもので、日本には奈良時代に中国から伝来したと見られ、飛鳥時代や奈良時代の遺品に、多種多様なものが今に伝えられている。
 平安時代には、貴族の象徴である烏帽子のほとんどがこの羅で織られたものであるほどだが、平安時代移行は次第に衰退し、江戸時代では最も単純な羅が織られはしていたものの、本格的な復活は昭和に入ってからである。
 夏の織物の王様ともいわれ、軽やかで張りのある生地が織りあがる羅は、二千年経った今も愛され続けている逸品である。
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2007/7/20


幾春別岳 Ikusyunbetsu-dake 

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 夕張山地の一つで、芦別岳の丁度西側に位置する幾春別岳(いくしゅんべつだけ)は、三笠市、夕張市、芦別市の各市境界が交差する位置にそびえている。
 測量の際の基準点となる二等三角点が置かれているが、三角点のピークが1062・8m、本峰1068mとそれほど高い山ではない。
 しかし、布部岳、芦別岳、滝ノ沢岳、夕張岳などの夕張山地をはじめとした山々に囲まれているので、見渡す限りの広々とした風景を満喫することが出来る。
 訪れる登山愛好家は絶えず、沢づたいを登り薮をかき分けて進むさまは、北海道の大自然を大いに楽しんでいるようだ。
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2007/5/22


織物 Orimono 

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 染織ともいい、糸を縦横に一定の規則によって交差させ、隣の糸と空間がないように織る布のことを指す。
 縦糸と横糸を交互に組み合わせた平織り、斜めの線を出すことができ、地厚の織物が作れる綾織り、糸の交差の間隔を隣り合わないように織られ、手触りがよく光沢がある朱子織りの3つを織物の三原組織といい、織物の基礎とされている。
 複数の種類の繊維を使い織ることを混用といい、糸の製造段階で、組み合わせることを混紡、縦横の糸を異なる糸で織ることを交織という。
 重量の単位を目付と呼称し、1目付は、4.3055g/㎡であるが、和装品用の織物では、1反の重量をグラムで表す。
 日本の織物の歴史は古く縄文時代に始まったとされ、魏志倭人伝に、3世紀ごろには蚕から糸を紡いだ絹織物が生産されていた記録が残っている。古事記や日本書紀にも、技術者が渡来して中国大陸の技法を伝えたことが記録されている。
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2007/5/7


白山洞門 Hakuzandoumon Hakusan Domon Rock Cave

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 足摺岬の先端から少し西に位置する白山洞門は、典型的な海蝕洞門である。太平洋の波浪強く、小石や波しぶきの激突によってできたその大きさは、高さ16m、幅17m。花崗岩の洞門のなかで、日本一の規模を誇る。この洞門の上には土地の産土として信仰の厚い白山神社がある。
 この洞門は、今日なお基底を波に洗われており浸食が進んでいる。近くまで遊歩道が整備され、研究にも観光にも恵まれた洞門である。
 地球の時間と人間の時間が交差する一瞬。太平洋の波しぶきの音を聞きながら、そんな感覚を感じる場所である。
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