松尾芭蕉 Matsuo-bashou Matsuo Bahou
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江戸前期の俳人。名は宗房。号は「はせを」と自署。別号、桃青・泊船堂・釣月庵・風羅坊など。
1644年、伊賀の国に生まれる。若くして俳諧の道に入り、31歳の時に江戸へ移り、職業的な俳諧師として身を立てる。深川に草庵を結び、芭蕉の木を植えたことから「芭蕉庵」と名づけた。それまでの滑稽味を主流とした俳諧に高い芸術性を賦与し、蕉風を確立。日本各地を旅しながら多くの作品を残し、日本短詩型文学の一潮流を極めた。
芭蕉が生きた頃、俳諧師は旅をして暮らすことが多かった。彼らの情報網は日本全土に広がり、文化的なネットワークを築いていた。芭蕉も代表作『奥の細道』では、東北・北陸2400キロを約半年で巡っている。その異様な速さと彼の出生地から、忍者だったという説もある。
1694年、やはり旅の途中にあった芭蕉は、大阪御堂筋の旅宿で客死。享年50歳だった。
1644年、伊賀の国に生まれる。若くして俳諧の道に入り、31歳の時に江戸へ移り、職業的な俳諧師として身を立てる。深川に草庵を結び、芭蕉の木を植えたことから「芭蕉庵」と名づけた。それまでの滑稽味を主流とした俳諧に高い芸術性を賦与し、蕉風を確立。日本各地を旅しながら多くの作品を残し、日本短詩型文学の一潮流を極めた。
芭蕉が生きた頃、俳諧師は旅をして暮らすことが多かった。彼らの情報網は日本全土に広がり、文化的なネットワークを築いていた。芭蕉も代表作『奥の細道』では、東北・北陸2400キロを約半年で巡っている。その異様な速さと彼の出生地から、忍者だったという説もある。
1694年、やはり旅の途中にあった芭蕉は、大阪御堂筋の旅宿で客死。享年50歳だった。