涌谷城 Wakuya-jyou
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1430年頃、涌谷氏が築城したと伝えられる。1591年伊達氏の家臣、亘理重宗が入り、以後明治まで在城。1606年亘理氏は伊達氏と称する。明治5年太鼓堂を除き建物は払い下げ取り壊される。
城のある涌谷町は旧北上川とその支流によって造られた大崎平野のほぼ中央に位置し、町の南部を江合川のほとりに涌谷城跡はある。
城は城山と呼ばれる比高10〜20mの丘を中心として築かれたが、現在は桜の木が沢山植えられ、天守閣を模した資料館のある城址公園となった。
4月中旬には500本余りの桜が咲きライトアップがなされる。
城のある涌谷町は旧北上川とその支流によって造られた大崎平野のほぼ中央に位置し、町の南部を江合川のほとりに涌谷城跡はある。
城は城山と呼ばれる比高10〜20mの丘を中心として築かれたが、現在は桜の木が沢山植えられ、天守閣を模した資料館のある城址公園となった。
4月中旬には500本余りの桜が咲きライトアップがなされる。
- 住所
- 987-0121宮城県遠田郡涌谷町涌谷
- 名前
- 涌谷城