NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/23


自性寺焼 Jishouji-yaki 

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 自性寺焼(じしょうじやき)は、群馬県安中市秋間に伝わる伝統工芸品である。
 奈良時代から平安時代にかけて八重巻窯、刈稲窯(かんねがま)、雉子ヶ尾窯(きじがおがま)、二反田窯などが盛んに煙を上げ、関東地方最大級の須恵器の産地として、各地に出荷されていた。
 天明三(1783)年以前の江戸時代中期より、この地に多くの窯が築かれ、おびただしい数の焼物が生産され、自性寺焼の最盛期として開花した。
 特徴は、生活用器から芸術味豊かな作品まで、陶器としての温かみのある風合いをそなえ、焼締陶器(やきしめとうき)から釉薬陶器(ゆうやくとうき)、また一部には色絵陶器まで焼かれ、今も尚、古民芸陶器として珍重されている。
 近年、産地が益子に移り途絶えていたが、昭和五四(1979)年に復興された。
 自性寺焼は、重厚かつ温かみのある伝統工芸品である。
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2007/9/4


無名異焼 Mumyoui-yaki Mumyoi Ware

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 無名異焼(むみょういやき)は、無名異と呼ばれる新潟県の佐渡金銀山中より産出される酸化鉄を含む陶土を用いて、高温焼成した各種焼き物のことである。
 無名異は漢方薬としても古くから用いられており、中風や胃腸病、やけど、止血剤としての効果に優れていた。
 焼き物としての歴史は、文政二(1819)年、佐渡金山の坑内で産出された無名異を用い、楽焼を製造したのに始まり、その後の安政四(1857)年に本焼が始まったとされている。
 その特徴としては、製造工程においての生磨きや焼成後の砂研磨など、他の焼き物ではあまり見られない特殊な作業が行われることにある。
 これら特殊な作業を経て生み出される製品は焼き物とは思えないほど非常に硬く、叩くと澄んだ金属音を発する。
 使用するほどに光沢を増すことでも知られており、飾るだけではなく日常に持ちいる事で、より味わいを深めていく逸品である。
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2007/1/25


閑谷学校 Shizutani-gakkou Shizutani Gakko

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 閑谷学校(しずたにがっこう)は、備前藩主池田光政の命により、約330年前に作られた日本最古の庶民の学校。岡山県備前市閑谷に所在する。創立以来、儒教精神に基く教育がなされ、他藩からの入学者、学者、文人の来遊も相次いだとか。明治以降は旧制中学、新制高校へと変遷、現在は県青少年教育センターとなっており、三百余年の間、優秀な人材を送り出している。
この建造物の最大の特色は、屋根瓦に備前焼を用いていること。そのためにわざわざ近くに窯を築き、伊部から陶工を呼んで焼いたという。その結果、いかにも儒学の殿堂にふさわしい雰囲気を醸し出している。学校の周囲をぐるりとめぐるかまぼこ型の石塀も美しい。中国の唐様を真似たもので、石積みが精密を極め全体によく調和している。
閑谷学校は、講堂をはじめ石塀や敷地内のほとんどの建物が国宝・重要文化財に指定されているという。
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小鹿田焼 Onta-yaki Onta-Yaki Ceramic Ware

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 小鹿田焼(おんたやき)は、大分県日田市の山あい、小鹿田地区にて焼かれる陶器である。
 小鹿田焼は江戸時代中期に、筑前の国・小石原焼きから陶工・柳瀬三右衛門を招き、大鶴村の黒木十兵衛によって開窯された李朝系登り窯である。
 小鹿田焼は開窯から300年、代表的な技法として、飛びかんな・刷毛目・櫛描き・打ち掛け・流しなどがあり、色調も青磁、黒、白飴、黄など多彩である。
 1954年、及び64年、世界的に著名な英国のバーナード・リーチが日田に滞在し、作陶したのは有名である。
 今も集落の谷川でのんびりと陶土をつき続ける唐臼のように、永い歴史と伝統を守りながら、小鹿田焼10軒の窯元がじっくりと手仕事に取り組んでいる。
 1995年、国の重要無形文化財保持団体の指定を受ける。
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