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2007/8/9


佐倍乃神社 Saeno-jinja Saeno Shrine

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 佐倍乃神社(さえのじんじゃ)は、宮城県名取市にある旧号・笠島道祖神社(かさじまどうそじんじゃ)といわれた、由緒ある神社だ。
 社伝によれば、景行天皇四十(110)年に天皇より東征を命ぜられた日本武尊がこの地に勧請したのがその始まりとされ、この際、道祖神としても崇められる猿田彦が道案内として随行していたことから、道祖神を祀り、創建されたと伝えられている。
 大永二(1522)年に本殿が造営されて以降は、伊達政宗公ら仙台藩の歴代藩主達に篤く尊崇され、政宗公直筆の神額や古刀剣などが収蔵されている。
 祭神である猿田彦神(さるたひこ)は道の神として、また一緒に祀られている天鈿女命(あめのうずめ)は夫婦の神であり、二神が共に生活の道を守ることから縁結びや夫婦和合の神として崇められ、毎年四月二十日の例祭日には県の無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納される。
 歴史の重みあるこの神社で拍手を打てば、ひょっとしたらなにか道が開けるかもしれない。
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2007/6/29


京都 掛札  Kyoto Kakefuda Kyoto Kakefuda

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 1925(大正14)年創業。京都・四条堀川に店を構える老舗の染物店。代々受け継がれてきた家紋入りの正絹風呂敷や帛久紗(ふくさ)、のれんや旗、幕などのオーダー専門店として営業を続けてきた。しかし、大学卒業後に家業を継いだ三代目の掛札英敬さんが2004年、中村勘九郎(現勘三郎)さんの「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿風呂敷のデザインと制作を担い、翌年に日本の伝統文様をモチーフにした既成の綿の風呂敷を発表したのを機に、社名・店名を「京都 掛札」に変更。さらに家紋をアレンジした木綿風呂敷専用のロゴマークを起用した。
 分業が一般化した今日では、デザインから型彫り、染め、縫製、仕上げ、販売まですべて一軒でまかなう専門店は貴重な存在。それでいて変わることを拒まない柔軟さは老舗の新たなあり方を示唆している。
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掛札英敬 KakefudaHidetaka Hidetaka Kakefuda

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 オーダーメイドの風呂敷を専門とする染物店「京都 掛札」三代目。1977年、京都市生まれ。1996年、京都市立芸術大学入学。在学中に彫刻専攻から構想設計専攻に移籍。大学在学中に家業を手伝い始め、代々店に伝わる家紋帳を見て伝統模様に興味を抱き、大学卒業後に家業を継ぐ。
 2004年、中村勘九郎の「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿の風呂敷のデザイン、制作を担う。これをきっかけに翌年、唐草や亀甲など日本の伝統文様をアレンジした綿の風呂敷を発表。「入門編として気軽に使かってもらえる風呂敷が欲しいと思ったんです」と語る口調は、まったく気負いがない。2005年以降、日本伝統の文様をもとにした「ジャパニーズモダン」とも称される新作風呂敷を発表し続けている。
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2007/6/28


縁桂 Enkatsura Enkatsura

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 縁桂(えんかつら)は、北海道乙部町の国有林内にそびえ立つ、樹齢500年の連理の巨木である。樹高40m、幹周610cmの威風堂々とした存在感を放つ。
 2本寄り添うように立っている桂の木が地上7mのところで1本の桂から出た枝がもう片方の桂の幹に結合している。このことから、「縁結びの神が宿る木」と呼ばれ、愛のシンボルとして人気があり、地元では大切に守られ毎年9月23日には縁桂まつりが行われている。
 縁桂の前には立派な社が建てられ、その前の渓流には木橋が整備されている。この橋を渡った所には鐘が下がり、近年では、この鐘のある場所で樹前結婚式も行われている。
 縁桂は、平成十二年に全国巨樹・巨木「森の巨人たち100選」にも選ばれているという。
 
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2007/5/31


銀杏返し Ichou-gaeshi Icho-gaeshi

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 銀杏返し(いちょうがえし)は、江戸時代末期に起こった女子の髪型。
 髪をひとつに括った根元からふたつに分けてそれぞれ輪にして∞型にし、余った毛先を根元に巻き収めて髪飾りを掛けて止め、髷(まげ)の根元に簪(かんざし)を挿す。この髪型が銀杏の葉がそっくり返ったような形であることから、「銀杏返し」の名が付いた。
 初めは12歳~20歳くらいの一般女子が結っていたが、江戸に入り、芸者や娘義太夫が髷の大きなものを結うようになり、粋好みの娘などがその形を真似たという。明治以降は30代以上の女性、後家や芸人、花柳界の女性にも流行した。
 髪結いに頼まないでも自分で簡単に結えることから、昭和初期まで銀杏返しは一般的な髪型であったという。
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2007/5/14


立川裕大 TachikawaYudai YudaiTachikawa

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 1965年、長崎県生まれ。株式会社t・c・k・w代表。
 企業の外部ブレーンとしてデザイン戦略を全般的にサポートするデザインディレクターを務める。
 家具、照明、家電などのインテリア関連プロダクトの企画・商品開発ディレクションを軸に、デザイナー選定、販路開拓、販売促進、アタッシュドプレス(広報活動)まで、デザインが世の中に行き渡るまでに必要な環境整備を全プロセスにわたり手掛けている。
 また、漆や竹細工など、日本の伝統的手仕事と現代のデザインを結びつけながら、新たなプロダクトを生み出す画期的なプロジェクト「ubushina」(うぶしな)と、デザイナーのセルフプロダクトなどを中心に扱うバイヤー向け会員制見本市サイト「MD salon」を自社でプロデュースしている。
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2007/5/11


奥山清行 Okuyama Kiyoyuki Kiyoyuki Okuyama

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 1959年、山形県山形市生まれ。GM(米)、ポルシェ(独)のチーフデザイナー、ピニンファリーナ(伊)にてデザインディレクターの要職を経て独立。
 マセラッティ・クアトロポルテ、エンツォフェラーリ、フェラーリ・スカリエッティなどのカーデザイナーとして世界的に著名。
 カーデザインと並行して、各種工業デザインの分野で、電車、航空機などの公共交通機関、家具、プロダクト、インテリアデザイン、空間デザインや都市計画まで幅広く手掛ける。KEN OKUYAMAレーベルにて眼鏡、サングラスの開発と販売、「山形工房」ブランドにて2006年より家具の製造販売を開始。
 現在、「アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン」(米)工業デザイン学部客員教授、金沢美術工芸大学客員教授、グッドデザイン賞選考副委員長、山形カロッツェリア研究会主宰。イタリア在住。
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坂 雅子 Ban masako Masako Ban

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 アクセサリーデザイナー。坂茂建築設計を経て、グラフィックデザイナーとして活動。2001年、ロンドン滞在中に独学でアクセサリーデザインを始め、帰国後「acrylic」(アクリリック)設立。   2005年には、最初のコレクションがニューヨーク近代美術館MOMAデザインストアに選ばれる。同年、東京にショップ「acrylic」オープン。
 その作品の特徴は、シンプルなデザインに徹し、素材感、仕上げ感を大切にしている点にある。特にアクリルのカットやスポンジの型抜きなど、日本の職人の技術を重視し、日本製にこだわる。今後は、日本の伝統工芸とのコラボレーションシリーズを集中して広げていく予定だ。
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