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新潟県長岡市与板地区の打刃物産業は四百年余りの伝統を誇り、その切れ味の鋭さと使いやすさには定評がある。
戦国時代の天正六(1578)年、上杉謙信の家臣が春日山より刀剣師を招き打刃物を作らせたのが始まりで、享保年間(1716~36年)には与板の大工道具は「土肥のみ」または「兵部のみ」として知られるようになった。明治に入ると刀剣師が鉋(かんな)の製造に着手し、全国にその名をとどろかせた。そして昭和六一(1986)年、のみ・かんな・まさかり・ちょうなについて、通産大臣(現経済産業大臣)より「越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)」として伝統的工芸品の指定を受けるに至った。
与板の打刃物は火づくりの鍛造技法によるもので、地鉄に鋼をのせ丹念に焼いては叩きの地道な工程を繰り返し、伝統工芸師の魂が宿った完成品へと仕上げられて行く。
戦国時代の天正六(1578)年、上杉謙信の家臣が春日山より刀剣師を招き打刃物を作らせたのが始まりで、享保年間(1716~36年)には与板の大工道具は「土肥のみ」または「兵部のみ」として知られるようになった。明治に入ると刀剣師が鉋(かんな)の製造に着手し、全国にその名をとどろかせた。そして昭和六一(1986)年、のみ・かんな・まさかり・ちょうなについて、通産大臣(現経済産業大臣)より「越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)」として伝統的工芸品の指定を受けるに至った。
与板の打刃物は火づくりの鍛造技法によるもので、地鉄に鋼をのせ丹念に焼いては叩きの地道な工程を繰り返し、伝統工芸師の魂が宿った完成品へと仕上げられて行く。
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