NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/1


多賀城址 Taga-joushi 

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 多賀城址(たがじょうし)は、宮城県多賀城市にある城跡である。日本100名城のひとつとされ、国の特別史跡に指定されている。
 神亀元(724)年、鎮守府将軍・大野東人(おおのあずまびと)によって東北経営の拠点として、また蝦夷(えみし)対策基地として築かれ、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)や陸奥守・源義家(みなもとよしいえ)をはじめとして、これ以降の蝦夷討伐に大きな役割を果たした。
 10世紀半ば頃にその使命を終えたとされる。
 現在は発掘調査された成果をもとに復元された基礎が並んでおり、当時の様子を垣間見る事ができる。
 また、江戸時代初期に発見された多賀城碑は、天平宝字六(762)年の銘がある石碑で、栃木県の那須国造碑、群馬県の多胡碑とともに、日本三古碑の一つと呼ばれている。
 多賀城址は、陸奥国府として対北方前線基地であった城跡である。
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2008/1/8


宮城 加美町 鹿島神社 Miyagi Kami-machi Kashima-jinja Kashima Shrine in Kami Town, Miyagi Prefecture

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 鹿島神社(かしまじんじゃ)は宮城県加美郡加美町にある神社で、創建は782年頃とされている。征夷大将軍であり蝦夷を平定した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の勧請と伝えられる。
 神社の境内には「おものめ様」が奉られており一つの伝説が残されている。
 昔々、加美町に住んでいた娘が大蛇の化身である美しい男性に恋をし、若者の子を身ごもった。娘の家に住みついていた年老いたガマが娘を気の毒に思い、男性が大蛇の化身である事を知らせたが、娘は信じなかった。ガマは「今度男性が尋ねてきたら、彼の着物の裾に、長く糸をたらした針を通しなさい。」と目印をつけるよう娘に忠告した。するとその後男性は訪れなくなり、悲しんだ娘は森に入りその糸をたぐると、その先には男性の化身と見られる、息絶えた大蛇を見つけた。娘はたいそう悲しみ、せめて世の中の男女が幸せになるように縁結びの神として奉仕したいと言い残し、近くの沼に身を投じてしまったという。
 村人はこれを哀れんで供養し「おものめ様」を奉っているという。
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2007/5/31


津軽 福島城 Tsugaru Fukushima-jo Tsugaru-Fukushima Castle

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 約65万平方メートルの外郭と一辺約200mの内郭からなる近世以前では東北最大の城。
 発掘調査により、竪穴住居跡、外堀、内堀、土塁跡、門祉や柵柱列が発見され、古代から中世にわたる遺跡であると推定され、従来は、中世十三湊を支配し権勢を誇っていた安東(安藤)氏代々の居城であると伝えられて来たが、1992年の十三湊発掘調査の結果、堅固な土塁と大規模な掘に囲まれた本格的な城郭施設である事がわかった。
 また通説に反し、中世の遺物は全く出土せず、11世紀の土器が出土したことなどから、福島城は11世紀の城であった可能性が高く、内郭は兵士が集合したり、何らかの宗教的な儀式を行う場所であった、可能性が高いとされている。
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