岩村城(霧ヶ城) Iwamura-jou(Kiriga-jou)
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岩村城(いわむらじょう)は、別名「霧ヶ城」とも呼ばれ、日本三大山城の一つで標高七二一メートルの位置にある。天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、全国で最も高地にある山城である。
源頼朝の挙兵に際し手柄をたて、岩村遠山荘を与えられた加藤景簾(かとうかげかど)が、文治元(1185)年に築城したもので、姓も遠山と改め、代々遠山氏の居城となった。
岩村城は、女城址の里と呼ばれ、城主が女性だったことがある。織田信長の叔母で、岩村城主・遠山景任(とおやまかげとう)の妻であった、通称「お直の方」が、主君亡き後に武田氏との攻防に際して城主として死守した。そして領民と将兵を助けるために、敵将武田方家臣である秋山晴近と再婚したという話が伝えられている。
城内には一七にも及ぶ井戸があり、八〇〇年もたった今でも十数個の井戸が今も水をたたえている。
建物は明治維新により廃城され、その後明治六(1873)年に取り壊された。
源頼朝の挙兵に際し手柄をたて、岩村遠山荘を与えられた加藤景簾(かとうかげかど)が、文治元(1185)年に築城したもので、姓も遠山と改め、代々遠山氏の居城となった。
岩村城は、女城址の里と呼ばれ、城主が女性だったことがある。織田信長の叔母で、岩村城主・遠山景任(とおやまかげとう)の妻であった、通称「お直の方」が、主君亡き後に武田氏との攻防に際して城主として死守した。そして領民と将兵を助けるために、敵将武田方家臣である秋山晴近と再婚したという話が伝えられている。
城内には一七にも及ぶ井戸があり、八〇〇年もたった今でも十数個の井戸が今も水をたたえている。
建物は明治維新により廃城され、その後明治六(1873)年に取り壊された。
- 住所
- 509-7403 岐阜県恵那市岩村町城山
- 名前
- 岩村城
- 電話
- 0573-43-2111