NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/22


会津 起上り小法師 Aizu Okiagari-koboushi 

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 会津起上り小法師(あいづおきあがりこぼうし)は、福島県会津地方に古くから伝わる郷土玩具の一つ。三センチほどの小さな和紙の張子細工で、稚児をかたどった姿が愛らしい。
 豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)が鶴ヶ城主として伊勢から国替えを命じられた際、下級武士の内職として作らせ、正月に売り出したのが始まりと伝えられている。現在も会津若松の中心街で毎年正月一〇日に開催される初市にて、風車などと共に縁起物として売られる。
 この起上り小法師は「七転八起」といって、転んでも転んでも起き上がることから、無病息災と家内安全を祈って神棚などに飾られる。また、家族と財産が増えるよう、家族の数より一個だけ多く買うのが習わしになっている。
 木型に和紙を張り、乾燥させた後に木型から外す。粘土を丸めたおもりを底にはめて糊付けし、赤と黒で彩色する。赤は魔除けを意味し、小法師の着る緋の衣は最高位を表している。
 平成九(1997)年三月、福島県の伝統的工芸品に指定された。
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2008/1/17


会津塗 Aizu-nuri 

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 会津塗(あいづぬり)は福島県会津若松市を中心に生産される漆器で、椀、重箱、茶托(ちゃたく)、盆などがある。昭和五〇(1975)年、通産大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定された。
 安土桃山時代に、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が、産業として奨励したことに始まる。近江の漆器職人を呼び寄せ、その技法を会津に広めた結果、漆器は会津の一大産業となった。
 幕末の戊辰戦争で壊滅的な打撃を受けるも、明治時代中期には再び活気を取り戻し、会津は日本有数の漆器産地として、今もその名をとどろかせている。
 工程によって、それぞれの専門職人が分業で行うのが特徴。そのため、より高い品質と能率的な生産を実現している。椀などロクロを使用して丸物を作る木地師(きじし)、重箱などカンナを駆使して板物を作る惣輪師(そうわし)、それらに豪華な飾りを施す蒔絵師(まきえし)・漆絵師(うるしえし)・沈金師(ちんきんし)がいる。縁起の良い図柄で人気が高い。
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2007/8/29


小塩神楽 Koshio-kagura Koshio Kagura

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 小塩神楽(こしおかぐら)は、江戸時代から伝わる南会津の伝統芸能であり、伊南村指定の重要無形民俗文化財として指定されている。
 文政一〇(1827)年、一ノ宮香取神社の御用神楽として始まった。香取神社は千葉県佐原市にある下総国一の宮・香取神宮の分社である。
 現在、小塩地区に受け継がれていて、神楽舞、ひょっとこ踊り、おかめ踊り、鍾馗舞、和藤内などが演じられている。
 旧・伊南村(いなむら)であった南会津町の伊南地区では、小塩神楽を後世に語り継ぐために小塩神楽保存会が発足し、現地では神楽の見学や体験をすることができる。 
 
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2007/8/2


柳津虚空蔵尊大祭 Yanaizu-kokuzou-son-taisai Yanaizu Kokuzoson Taisai (Grand Festival)

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 柳津虚空蔵尊大祭(やないづこくうそんたいさい)は、宮城県登米市津山町にあり、福島の会津柳津と山口の周防に並ぶ日本三大虚空尊の一つに数えられる柳津虚空蔵尊で、毎年四月と十月の十二~十三日にかけて行われる例祭である。
 その興りは奈良時代の神亀三(726)年、万葉集編纂で知られる僧・行基によって天下泰平、国家安泰を願って虚空蔵菩薩を刻み開基、創建されたとされ、奥州でも屈指の霊山・霊場の祈願寺として広く知られている。
 大祭では、正午から山海の珍味をお膳に盛り、行列して運ぶ「献膳行列」が行われ、その後に家内安全や交通安全、受験合格などを記した護摩祈祷が行われる。
 春と秋には県内外から大勢の参拝者が訪れ、今も篤い信仰を集めている。
 いつもの賑やかなお祭りとは違い、お膳を運ぶ荘厳な行列を見守り、炎と共に天に昇っていく祈祷に祈りを捧げる静かなお祭りも良いかもしれない。
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2007/7/27


仙台 輪王寺 Sendai Rinnoou-ji Rinnoji Temple in Sendai

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 宮城県仙台市内にある輪王寺(りんのうじ)は、同寺敷地内にある美しい日本式庭園が有名な寺である。
 その創建は、伊達家九代当主である大膳大夫、政宗の夫人・蘭庭明玉禅尼の所願を請け、孫にあたる十一台当主持宗が菩提寺として、福島県染川に建立したことによる。
 その後、伊達氏の居城は米沢や会津、岩出山と移っていったが、輪王寺もこれに従って移動をし、現在の仙台市に移ったのは慶長七(1602)年、仙台藩藩祖の伊達政宗公のころである。
 明治九(1876)年に野火の類焼により、国の重要文化財にもなっている仁王門を残し焼失してしまうも、後に再建される。
 その門をくぐって奥へ進むと、輪王寺禅園の名を持つ、池を中心とした回遊式の日本庭園が見えてくる。
 季節になれば、ほとりにアヤメが咲き誇る池にかかる橋を渡り、美しく手入れされた静かな庭を散策すれば、ここが仙台市随一の名園と謳われるのも納得の安らぎを堪能できるだろう。
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2007/7/19


会津白虎まつり Aizu-byakko-matsuri Aizu Autumn Festival

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 会津白虎まつり(あいずびゃっこまつり)は、福島県会津若松市にて行われる祭りである。
 以前は会津秋まつりと言う名だったが、会津と言えば「白虎隊」として全国的に知られており、さの知名度を生かし、インパクトある名称にと改称したもの。
 深い歴史の残る会津若松に秋を告げる伝統の祭りで、県内外から多くの観光客が訪れる。
 市民総勢1000人が灯篭を揺らし市内を練り歩く幻想的な風景で祭りのオープニングを飾り、鶴ヶ城跡で「先人供養祭」が行われ、白虎まつりのメイン「会津白虎行列」がスタートする。
 市民が扮する白虎隊や松平公といった会津藩縁の武者行列は約500名にものぼり、まさに圧巻。
 夜には「会津磐梯山踊り」も行われ、祭りを一層盛り上げる。
 会津白虎まつりは、戊辰戦争を偲ぶ、会津の秋の一大イベントである。
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2007/7/3


大内宿雪まつり Oouchi-syuku-yukimatsuri 

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 毎年2月の第二土曜日・日曜日の二日間、雪深い静かな会津・大内宿で行なわれるのが、「大内宿雪まつり」である。
 この祭りは地元大内区などでつくる実行委員会が主催し、町、町観光協会、福島民報社などが後援して、昭和六一(1986)年から冬期町おこし行事として行なわれている。
 土曜日の午後から、日本一の団子さし、具止餅拾い、三志神楽、ボタ(丸太)引き競走、きき酒大会などの諸行事が行われ、夜になると「御神火戴火」と言われる、下帯姿の若衆たちが松明を手に通りを走る神事や花火の打ち上げが華やかに行なわれるが、通り沿いの雪灯篭も風情がある。
 翌日曜には、わらじ履き綱引き大会、そば食い競争等に続いて、この祭りのメーンイベントとも言える時代風俗仮装大会が行なわれる。子供からお年寄りまで、それぞれに時代衣装を身にまとって通りを練り歩く。その様は、江戸時代の宿場の面影を今も色濃く残す大内宿だけに、まさに江戸時代にタイムスリップしたかのような幻想を抱かせる。
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2007/6/12


大俵引き Ootawara-hiki 

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 大俵引き(おおたわらひき)は、福島県河沼郡会津坂下町で、毎年1月第2土曜日に行われる祭りである。
 江戸時代初期の寛永二(1625)年ごろには始まっていたと新編会津風土記には記されている。
 市神様の前で上町・下町に分かれて「米俵引き」を始め、上町が勝てば米の相場が上がり、下町が勝てば下がると占ったのが伝統行事として続けられた。
 明治に入って中断していたが、昭和三〇年の町村合併を機に、五穀豊穣、商売繁盛の祈願を込めた正月行事として復活した。
 厳寒の中、下帯一つの裸の男たちが大太鼓の音を合図に直径3m、長さ5m、重さ3トンの巨大な俵を両側から太い綱で引き合う様は見るからに勇壮である。
 近年はその前後に、俵太鼓の演奏や、鏡割り、福餅つき、福俵365個まきなどの行事が加わり大勢の人出で賑わっている。
 大俵引きは、日本有数の奇祭として人々に親しまれている。
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