NIPPON Kichi - 日本吉

記事数7件: 1~7 件表示          

2008/5/9


東大寺盧舎那仏像 Toudai-ji-Rushanabutsu-zou 

Jp

 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。南都七大寺1番で、全国の国分寺の本山にあたる総国分寺とされる。
 8世紀前半に聖武天皇が建立した寺で、本尊・盧舎那仏は奈良の大仏として良く知られ、像高は14.98m、重さは380トンで、国宝に指定されている。
 盧舎那仏は、聖武天皇の発願で天平一七(745)年に制作が開始され、天平勝宝四(752)年に魂入れの儀式である開眼供養会が行われた。
 華厳経の本尊で、その意味は、知恵と慈悲の光明をあまねく照らし出されている仏とされる。
 残念ながら、現存する像のうち、当初の部分は台座、腹、指の一部など、ごく一部となってしまった。
 東大寺の盧舎那仏像は、華厳経の説く「悟りの世界」を絵に表した、巨大な仏像である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/2


宮城 安国寺 Miyagi Ankoku-ji Miyagi Ankoku-ji Temple

Jp En

 安国寺は、聖武天皇が国ごとに国分寺を建立させたのと同じく、一国一寺の計画で足利尊氏の指揮の下、全国に建立された寺である。
 今もそのほとんどは残っており、宮城県大崎市にある同寺も、その計画の下に全国に建てられた66寺の一刹である。
 国分寺は、各国における文化や教育の熟成を狙って建てられたものだが、安国寺はその考え方は同じながら、元寇以来の戦没者を弔い、国家の安泰を祈願するものとして多少の違いがある。寺の名前の由来ともなった「安国利生」即ち国家安穏衆生利益の祈祷と共に戦没者を弔う事で、日本を一つに纏め上げるために設けられた寺でもあるのだ。
 以降、幾度かの戦火に遭い、そのたびに焼失などしてしまっていたが、仙台藩二代藩主であった伊達忠宗の名により、宝暦二(1760)年に再建され、今に至っている。
 本尊には県の文化財にも指定されている木造阿弥陀如来像が鎮座しており、今も全国に散らばる六六刹と共に、世の中を見つめている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/13


大鰐町 大円寺 Oowani-machi Daien-ji 

Jp

 大鰐町(おおわにまち)の大円寺(だいえんじ)は、青森県南津軽郡大鰐町にある高野山真言宗の寺である。本尊は阿弥陀如来。
 奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に際し、本尊を阿闍羅山(あじゃらやま)の大安国寺に安置したことに始まる。
 建久二(1191)年、大安国寺は荒廃し、阿闍羅山千坊と称された高伯寺に移奉された。
 慶安三(1650)年、津軽三代藩主信義が鷹の病気平癒を祈願したところ病が治り、これを喜んだ信義は、本尊を京都で補修させ、御堂を現在の場所に建立、神岡山高伯寺と号した。
 明治四(1871)年、神仏分離の際、弘前市から大円寺が移り、名を大円寺に改めた。
 高野山金剛峰寺の末寺で、本尊の阿弥陀如来はなぜか大日様と呼ばれている。理由は現在も不明。
 大鰐町は、今も大日様として崇敬されている寺院である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/23


周防国分寺 Suou-kokubunji 

Jp

 「周防国分寺(すおうこくぶんじ)」は、聖武天皇の勅願により国ごとに建てられた、山口県の官寺のひとつである。創建当初の境内に今も伽藍を残すという、極めて珍しい例として知られている。
 各国には国分寺と国分尼寺が一つずつ、国府のそばに置かれていた。
 多くの場合、国分寺は国庁と共にその国の最大の建築物である。
大和国の東大寺、法華寺は総国分寺、総国分尼寺とされ、全国の国分寺、国分尼寺の総本山と位置づけられた。
 境内地は国の史跡に指定されており、また重要文化財である金堂には、藤原時代初期の木造日光・月光菩薩立像をはじめ、多くの仏像、宝物が置かれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/14


陸奥国分寺 Mutsu-kokubun-ji 

Jp

 陸奥国分寺は天平一三(741)年、聖武天皇の詔(みことのり)によって、国家鎮護と人々の無病息災を願い、全国に建てられた国分寺の一つで、国分寺では最北に位置する。古来よりこの辺りは、宮城野と呼ばれていて、古今集に「宮城野の
 木荒の小萩 露をおもみ 風をまつごと 君をこそ待て」と詠まれた様に、宮城野萩の名でも知られている。
 現在、周辺は史跡公園になっており、約3万坪の境内には陸奥国分寺跡をはじめ、伊達政宗が建立した薬師堂、仁王門などがある。そして心字ケ池畔には、松尾芭蕉の詠んだ「あやめ草
 足に結ん草
 鞋の緒」の句碑や大淀三千風の句碑がある他、江戸時代の力士で、横綱の谷風ゆかりの牛石、谷風誉れの足型など、句碑や石仏が多数点在している。天平の古から江戸までの、歴史を感じながら散歩を楽しめる場所である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/22


鹿島神社 Kashima-jinjya 

Jp

 聖武天皇の勅願によって播磨の国、国分寺と、国分寺の東院として大日寺が建立された時、その鎮護の神として奉祀された。
 当時から、特に霊験あらたかなるとして、元禄元(1688)年には、藩主本多忠国公から境内地として、50間四面の地を献ぜられる等、歴代 姫路藩主の崇敬篤く、祭礼には特使を派遣され奉斎されていた。
 また、享和元(1801)年の書である、円誉上人(えんよしょうにん)の掲額(鹿嶋大明神)や、古い絵馬を見ても由緒あることが窺える。
 一人一願、心を込めて御詣りする時、その願いは必ずかなえられる霊験の著しいことをもって、「一願成就の神」として遠くから、善男、善女の参詣の列が絶えない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/25


備中国分寺 Bicchu-kokubun-ji Bicchu Kokubunji Temple

Jp En

 国指定史跡、「備中国分寺」。岡山県総社市に所在する。
 備中国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願により創建された官寺。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建された。現存する伽藍はすべて再建後に建てられたものである。
 境内にそびえる五重の塔は、岡山県唯一のもので、吉備路の代表的な景観となっている。国の重要文化財にも指定されているという。この塔は江戸時代後期の文政四(1821)年から20数年をかけて建立された。その重厚美を帯びた存在感は、かつて吉備の国の中心として栄えたこの地の繁栄ぶりを映しているかのようだ。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数7件: 1~7 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter