NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/22


鷽(ウソ) Uso Uso (Eurasian Bullfinch)

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 鷽(ウソ)とは、雀くらいの大きさで、短い口ばし、オスの頬が薄紅色なのが特徴である。
 口笛を吹くときの口の形を表した「うそぶく」から、名前がついたとされる。
 鷽は、短くて太い口ばしを使い、木の葉や木の実などのほか、昆虫やクモなどを食べる。特にサクラやウメなどのつぼみが膨らむ頃、果樹の花芽を好んで食べるようになる。
 果樹の花芽を食べることによって、多すぎるつぼみを適度に摘んで間引きの役目を果たし、実を大きくするための益鳥として果樹農家に大切にされていた。
 しかし近年では、鷽に食べられた果樹には花が咲かず、収穫に大きな被害を与えるとして、有害鳥獣としての対象になるときがある。
 九州の福岡にある梅で有名な太宰府天満宮では、鷽を大切にしており、参拝者が木彫りのウソを交換し、交換したウソの中にある金色のウソを見事手にした人は幸福が訪れるという「ウソ替え」という行事が現在でもおこなわれている。
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2007/5/24


上ノ国の中世の館 Kaminokunino-chuseino-tate Kaminokuni Fort-Mansion

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 北海道道南の日本海に面する上ノ国町には、「館(たて)」と呼ばれる中世の山城の跡が残る。
 上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
 勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
 上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
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2007/5/10


ブナコ照明器具 Bunako-shoumei-kigu Bunaco Lighting Fixture

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 ブナコとは、ブナのテープを必要な分だけコイル状に巻き、少しずつスライドする事で立体を作り出す技法。日本の原生林をなすブナの木はかつて輸送用の林檎箱に使用されていたがブナコの技術が開発されると、食器や照明器具に使われるようになる。
 この照明は赤い光の筋を境に上下対象の大きなラッパ型のブナコを2つ作り、それをブナコのテープで繋ぎ合わせて制作したスタンドライトのケース。
 中央の繋いだ部分は他と比べてブナコのテープ同士の重なりが薄いため、この照明の大きな特徴となる赤い光が透き通る。
 「Lounge O」というクラブのためにデザインされ、暗めの内装の中で幻想的な独特の光を放っている。また熱抜きのために上下に穴を用意し、電球交換は金属のベースからブナコを取り外して行えるように工夫されている。
・サイズ W×D×H(mm)
 400×400×1800
・デザイン
 インテンショナリーズ
■プロデュース
 ubushina 立川裕大
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2007/5/1


金閣寺 Kinkaku-ji 

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 金閣寺。正式には「臨済宗相国寺派・北山鹿苑寺」(りんざいしゅうそうこくじは・ほくさんろくおんじ)。
 京都の北西、京都市北区に位置し、「金閣寺」の名はその金箔で飾られた煌びやかな姿から呼ばれた通称である。室町幕府の花の御所に隣接していた相国寺をはさんだ京都の東山にある銀閣寺も、同じ相国寺派である。
 創建は応永(おうえい)四(1397)年、、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸に一新したのが始まりである。義満の死後、その法名にちなんで「鹿苑寺」と名づけられた。
 金閣といわれる三層からなる金色の建物は、舎利(しゃり)(お釈迦様の遺骨)を安置する舎利殿である。
 池に映る青い空、緑に輝く木々、春の桜に秋の紅葉。そして金色に輝く舎利殿。
 無色と静寂だけが禅ではないことを、語ろうとしているのか。室町の「禅」は一筋縄ではいかない。
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