古河城 koga- jyou
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古河城は茨城県古河市、渡良瀬川の東岸に位置した城である。
鎌倉時代、この地を支配した下河辺行平が築城、当時は古河御陣の名で呼ばれた。
康正元(1455)年、鎌倉公方足利成氏が鎌倉からこの地に移り根拠とし、古河公方を称して周囲へ勢力を広げた。
天正十(1582)年に古河公方断絶の後は豊臣秀吉により破却、その後、徳川家康の命により復興し、明治維新まで幕府重臣に城主が任ぜられた。
日光東照宮への参道であり、水運の要所であったことから城下町としても栄え、天主である御三階櫓や多くの櫓を持つ城であったが、廃藩置県で廃城。大正年間の渡良瀬川の大改修により城址の大半は水没し、現在残るのは福法寺に移築された乾門と一部の土塁のみである。
鎌倉時代、この地を支配した下河辺行平が築城、当時は古河御陣の名で呼ばれた。
康正元(1455)年、鎌倉公方足利成氏が鎌倉からこの地に移り根拠とし、古河公方を称して周囲へ勢力を広げた。
天正十(1582)年に古河公方断絶の後は豊臣秀吉により破却、その後、徳川家康の命により復興し、明治維新まで幕府重臣に城主が任ぜられた。
日光東照宮への参道であり、水運の要所であったことから城下町としても栄え、天主である御三階櫓や多くの櫓を持つ城であったが、廃藩置県で廃城。大正年間の渡良瀬川の大改修により城址の大半は水没し、現在残るのは福法寺に移築された乾門と一部の土塁のみである。
- 住所
- 306-0033 茨城県古河市中央町
- 名前
- 古河城