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都於郡(とのこおり)城跡は、宮崎県西都市荒武にある城跡である。国の指定史跡に登録されている。
建武二(1335)年、伊豆から下向した伊東祐持(すけもち)が足利尊氏からこの地を拝領し城を築いた。標高100メートルの高台にあり、三財川が外堀の役目を果たした。遠くからの眺望が、海原に舟が浮いているように見えていたことから別名「浮舟城」と呼ばれていた。しかし、天正五(1577)年、伊東氏は島津氏と木崎原の戦いで敗れ、落城となった。
現在、城は原形をとどめておらず、空堀、土塁などが僅かに残るのみである。平成一三(2001)年から遺構確認調査が行われており、二の丸の一部から多くの柱穴や虎口の関連施設の遺構が見つかっている。
建武二(1335)年、伊豆から下向した伊東祐持(すけもち)が足利尊氏からこの地を拝領し城を築いた。標高100メートルの高台にあり、三財川が外堀の役目を果たした。遠くからの眺望が、海原に舟が浮いているように見えていたことから別名「浮舟城」と呼ばれていた。しかし、天正五(1577)年、伊東氏は島津氏と木崎原の戦いで敗れ、落城となった。
現在、城は原形をとどめておらず、空堀、土塁などが僅かに残るのみである。平成一三(2001)年から遺構確認調査が行われており、二の丸の一部から多くの柱穴や虎口の関連施設の遺構が見つかっている。
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