NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/13


海野宿 Unno-Juku 

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 海野宿(うんのじゅく)は、長野県東御市本海野にある江戸・明治の伝統的街並みを残す場所である。寛永二(1625)年、日本の道百選のひとつに選ばれている、北国街道の宿駅として開設された。
 北国街道は、佐渡で採れた金の輸送、北陸諸大名の参勤交代の他、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くあった。
 宿の東西に桝形が置かれ、延長650mあり、中央を流れる用水の両側には103軒の家が続き、人足25人と25頭の馬が常備され輸送にあたっていたという。
 出桁造りの旅籠屋や、防火壁の役割を果たす立派な卯建の立っている家もあり、表構えの格子戸は特に「海野格子」と呼ばれる。
 時代を超えた建物が調和した街並みは、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている。
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2007/12/25


笠島集落 Kasajima-shuuraku 

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 笠島集落(かさじましゅうらく)は、国選定の伝統的建造物群保存地区で、約一〇〇戸の江戸末期から明治期にかけての建物が残る集落である。
 笠島は戦国時代まで、水上の兵力、塩飽水軍(しわくすいぐん)の本拠、江戸時代には要所として栄えた。その後貨物船の世話をする廻船問屋として栄えた笠島だったが、後に船舶建造の腕を活かし、家屋建築の塩飽大工として島民達が全国で活躍するようになったという。
 大工が各地から帰省する度に家屋を手入れしていたため、江戸時代の町並みがとても良い状態で保存されているという。
 街並みは迷路のようになっており、富を誇示するように粋を凝らして建てた屋敷が建ち並ぶ。千本格子の出窓や、漆喰塗りの白壁の家々、なまこ壁の土蔵などが連なり、美しさと共に塩飽大工の技術力の高さも随所で感じられるという。
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2007/9/13


旧岩田家住宅 Kyuu-iwata-ke-juutaku 

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 旧岩田家住宅(きゅういわたけじゅうたく)は、仲町伝統的建造物群保存地区にある建物の1つで、寛政時代から文化年間に建てられたものと予測されている。
 建てられて間もなく、家を移動した後、増改築等が行われていると推測されているが、これらはあまり大掛かりでなく、柱や小屋組などの主な構造や、藁葺屋根等は当時のまま残っている。
 当時の武士の生活を知る上で重要な建築のひとつとされており、広間、座敷、奥座敷、居間などで現在も当時の雰囲気を見ることができる。
 旧武家屋敷街の保存に積極的であった故・岩田夏城氏の遺志として昭和五六年八月に弘前市に寄付されたものである。
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2007/9/10


知覧武家屋敷庭園 Chiran-bukeyashiki-teien Old Samurai Gardens in Chiran

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 知覧武家屋敷庭園(ちらんぶけやしきていえん)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)にある江戸時代の武家屋敷群で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 約260年余り前、知覧領主・島津久峰時代の武士小路区割の名残り。現在、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている。
 7軒の屋敷の庭園が見学でき、うち6軒は枯山水式庭園、1軒は築山池泉式庭園となっている。
 薩摩の小京都と呼ばれるにふさわしい佇まいを保ち、武家屋敷群は「人をもって城となす」という薩摩藩の気風を推し進めた外城のひとつとされる。
 各屋敷が塁のように防衛障壁となるよう工夫されており、端正にして優美、虚飾に走らず簡素を旨とした、薩摩武士の知性と上品さが伺える。
 知覧武家屋敷庭園群は、江戸の昔を思い起こさせる街並みである。
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2007/6/18


小江戸 Ko-edo Koedo

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 小江戸(こえど)とは、江戸のように栄えた町、また江戸時代を彷彿とさせる町並みを小江戸と呼ぶ。
 江戸時代から町を誇る際に「まるで江戸のようだ」と表現したことがあったが、1986年に栃木市・川越市・佐原市の3市で行われた小江戸サミットでは、その表現を「小江戸」とする言葉が生まれ、注目された。
 現在、小江戸として有名な地は、城下町・蔵の町としても知られる栃木県栃木市(下野国)、江戸城の建物の一部が移築され川越藩の城下町であった埼玉県川越市(武蔵国)、佐原の大祭に名残を残し重要伝統的建造物群保存地区にも指定された千葉県佐原市(下総国)の他、千葉県夷隅郡大多喜町(上総国)、神奈川県厚木市(相模国)、静岡県磐田市(遠江国)、滋賀県彦根市(近江国)等があげられる。
 特に、埼玉県川越市では「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と言われ、また千葉県香取市では「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」という唄も残されている。
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2007/6/11


関宿 Seki-juku Seki-juku Post Town

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 関宿(せきじゅく)とは、その名の通り「関所の宿場」であったところ。ただしこれは、江戸時代の関所ではなく、六七二年の壬申の乱の時に鈴鹿の関として固められたものである。越前の愛発(あらち)、美濃の不破(ふわ)とともに古代日本三関と言われていたが、七八九年に廃止されている。
 中世の頃は関氏の所領として、地蔵院を中心に門前町から宿場町へと変化しながら栄えた。
 慶長六(1601)年、徳川幕府の宿駅制により、品川宿から数えて四七番目の宿場となったのが、現在の関宿、三重県亀山市関町木崎・中町・新所だ。ここは東海道五十三次の宿場の中で唯一往時の町並みを残しており、昭和五九年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されて以来、その保存と、歴史的な町並みの特性を活かした新しい町づくりに取り組んできている。
 街並は東から4つの地区に分けられ、家並みの低い町家が続く木崎、本陣・問屋・旅籠が集まる中町、地蔵院門前の新所、寺社が集まる北裏と、それぞれ特徴を持っている。
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2007/5/22


赤沢宿 Akasawa-juku Akasawa-juku Post Town

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 赤沢宿は山梨県南巨摩郡早川町に位置する集落である。
 古来より、日蓮宗総本山の身延山と、山岳信仰の地である七面山へと続く参道の途中に位置する身延往還の宿場町として知られる。
 信者の一団である講の泊まる講中宿であり、明治時代には、当時流行した身延講の参詣者で大いに栄えた。
 現在も各宿には板マネギと言われる各地の講が定宿とした証の木版が残っている。
 四方全て山という環境から、大工、杣人(そまびと)、木挽きなどの職人を多く輩出した。
 平成五(1993)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
 深い山と渓谷に囲まれた山間の土地であり、石畳や昔ながらの街並みが往時の面影を今に伝えている。
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2007/2/12


旧竹林院庭園 Kyuu-chikurinin-teien 

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 延暦寺の僧侶の隠居所である里坊。邸内には主屋の南西に約3300平方メートルの庭園が広がる。
 天正年間に建てられた2棟の茶室と四阿(あずまや)は大津市の指定文化財。
 地形を巧みに利用した滝組と築山を配し、手入れの届いた木々や苔が四季を通じてしっとりとした風情を演出している。
 比叡山ふもとにある大津市坂本は、門前町として古来から大いに栄えてきた。
 歴史を今に伝える数多くの建物、遺跡が残され、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。なかでも里坊は歴史の町・坂本ならではの町並みをつくっている。
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