ひがし茶屋街 Higashi-chayagai Higashi Teahouse Street
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金沢の浅野山麓を流れる浅野川別名女川の岸、石畳の道を挟むように紅殻格子のお茶屋が軒を連ねる。それがひがし茶屋街だ。
文政三(1820)年、加賀藩によって作られた茶屋街である。このとき、にし茶屋街も作られ、明治二(1869)年には主計町茶屋も開かれたが、ひがし茶屋街が最も格式が高く、規模も大きかった。
かつてこの茶屋街では、日が暮れると旦那衆が、酒をたしなみながら芸事を楽しんだ。一見さんお断りが主流だったが、今では茶屋を改装した喫茶店なども多く、気軽に立ち寄れる。それでも日が暮れると軒下灯に明かりが入り、三味線や太鼓の音が聞こえてくる。茶屋街が艶っぽい表情を見せる時間である。
五木寛之の「朱雀の墓」の舞台ともなった。平成十三(2001)年に国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
文政三(1820)年、加賀藩によって作られた茶屋街である。このとき、にし茶屋街も作られ、明治二(1869)年には主計町茶屋も開かれたが、ひがし茶屋街が最も格式が高く、規模も大きかった。
かつてこの茶屋街では、日が暮れると旦那衆が、酒をたしなみながら芸事を楽しんだ。一見さんお断りが主流だったが、今では茶屋を改装した喫茶店なども多く、気軽に立ち寄れる。それでも日が暮れると軒下灯に明かりが入り、三味線や太鼓の音が聞こえてくる。茶屋街が艶っぽい表情を見せる時間である。
五木寛之の「朱雀の墓」の舞台ともなった。平成十三(2001)年に国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
- 住所
- 920-0831 石川県金沢市東山1
- 名前
- ひがし茶屋街