NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/31


鹿谷寺跡 Rokutan-ji-ato Rokutanji Temple Ruins

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 鹿谷寺跡(ろくたんじあと)は、大阪府南河内郡太子町にある寺院跡である。
 奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院であった。
 日本最古の本格的な石窟寺院と言われ、寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されている。
 高さ5.2メートルの十三重石塔は、わが国最古の十三重石塔で、凝灰岩の地山を彫残して作られたものである。長年の風雨にさらされ、古色蒼然とし、古代の息遣いを感じさせている。
 東側の岩を掘って造られた岩窟内には、如来座像三体が線彫されている。こちらも風化がはなはだしく、一番左の如来座像の顔・胸部はすでに失われてしまっている。
 鹿谷寺跡は、日本では大変希少な、古代仏教関係の遺跡である。
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2007/10/23


時田英明 Tokita Hideaki Hideaki Tokita

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 日本に数十人しかいないといわれる根付の世界で、大型新人として注目をあつめる根付師・時田英明(ときたひであき)。1979年、東京都生まれ。
 根付とは、江戸時代に流行した、印籠や巾着などを帯から提げるための「留め具」となる小さな飾り物のこと。現在、コレクターは日本よりも海外に多く、彼もまた留学先のニュージーランドで根付の存在をはじめて知り、翡翠彫刻を学び始める。
 その後同国にて、師匠となる彫刻家・ミック氏と出会う。彼に学びながら彫り始めた根付は、世界トップクラスの根付コレクターから絶賛、奨励を受けるようになっていき、2007年には国内でも「日本象牙彫刻会・新人賞」を受賞した。
 「観察する時間は、教わっている時間と同じ。たかが葉っぱ一枚でも、何かを得ようとする努力で、何かが得られる」
 自分をぎりぎりに追い込みながら、直感を研ぎ澄ます生き方の中で生まれる作品は、唯一無二の強烈な存在感を解き放つ。
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2007/10/12


沈金 Chinkin Chinkin (Gold-inlay Carving)

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 沈金(ちんきん)は、漆芸の装飾技法で、漆の塗面に沈金刀と呼ばれる特殊な刀で紋様を彫り、漆を摺りこんだ後、金箔や金粉などを窪みに埋めるもの。日本には室町時代に伝わったと言われ、石川県輪島市に伝わる伝統工芸だ。
 沈金の重要無形文化財保持者(人間国宝)である前史雄氏(1940〜)は、昭和38年金沢美術工芸大学美術学科卒業後、沈金の名工と謳われた父・前得二に師事、技の鍛錬に努めた。
 沈金ノミについて研究を深め、自身でノミのかたちまで考え、各種沈金技術を駆使した作品を生み出す。卓越した沈金技術で描く繊細で情感豊かな表現が独自の作風をつくりだしている。
 後進の指導にも尽力しており、石川県立輪島漆芸技術研修所などにおける漆芸の技術教育に貢献している。
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2007/6/29


京都 掛札  Kyoto Kakefuda Kyoto Kakefuda

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 1925(大正14)年創業。京都・四条堀川に店を構える老舗の染物店。代々受け継がれてきた家紋入りの正絹風呂敷や帛久紗(ふくさ)、のれんや旗、幕などのオーダー専門店として営業を続けてきた。しかし、大学卒業後に家業を継いだ三代目の掛札英敬さんが2004年、中村勘九郎(現勘三郎)さんの「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿風呂敷のデザインと制作を担い、翌年に日本の伝統文様をモチーフにした既成の綿の風呂敷を発表したのを機に、社名・店名を「京都 掛札」に変更。さらに家紋をアレンジした木綿風呂敷専用のロゴマークを起用した。
 分業が一般化した今日では、デザインから型彫り、染め、縫製、仕上げ、販売まですべて一軒でまかなう専門店は貴重な存在。それでいて変わることを拒まない柔軟さは老舗の新たなあり方を示唆している。
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2007/5/25


函館高龍寺 Hakodate-Kouryuu-ji 

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 函館高龍寺(はこだてこうりゅうじ)は、北海道函館市船見町にある曹洞宗の寺である。本尊は、釈迦三尊。
 寛永一〇(1633)年、松前の法源寺の末寺として亀田地区に建立された。明治一二(1879)年、現在地に移転し、明治三三(1900)年、入母屋瓦葺きの屋根、総ケヤキ造りの本堂が建てられる。明治四四(1911)年、東北以北最大であり、総ケヤキ造りの見事な彫刻が施されている山門が建築された。
 境内は広く、門の傍には金毘羅の社があり、庭中は見事な泉水築山となっている。
 道文化財指定の、蠣崎波響(かきざきはきょう)の描いた釈迦涅槃図を所有していることでも有名である。
 函館高龍寺は、函館最古と云われている開基を誇る、歴史ある古刹である。
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2007/5/17


谷汲山 華厳寺 Tanigumi-san Kegon-ji 

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 延暦一七(798)年創建と言われ、西国三十三箇所の第33番札所である華厳寺。「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれている。
 会津の豪族であった大口大領は夢の中で観音菩薩から授かった榎の霊木を持って京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらったが、会津まで運ぶ途中、ここ谷汲村で仏像がぴたりと動かなくなってしまった。「ここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこにお堂を建て、観音菩薩像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困る事は無かったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音様に華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名が付いた。
 満願の寺なので、朱印も過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)の三つがあり、「精進落としの鯉」など西国巡礼をやっと終えた人だけが知る喜びの標に満ちていて、観光参拝客もその雰囲気に引き込まれる。
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2007/5/11


漆・テーブル天版(彫刻塗り) Urushi・Teburu-tenban(chokoku-nuri) Table ‘Tenhan’ (lacquer-coated carving)

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 ミラノサローネでの展示目的で開発された幾何学模様の彫刻塗りのテーブル。これまで扱ったことのない柄や大きさに職人はかなりのとまどいを感じる。一般に彫刻塗りは絵柄が多く、幾何学模様はほとんどなかったのである。「機械でやったほうがいいのでは」という意見さえ出た。一方このような彫りに漆を塗る場合、顔料が彫りの中に溜まる危険もあった。
 しかしやがて職人魂に火がつく。機械では決して表わせない豊かな表情を持つテーブルに仕上がった時「大変だったが、今までとは全く違う価値観に触れ、空間を意識した物づくりのヒントをもらえた」と喜びの声が職人から上がった。
 今までになかったデザインと技術の結合。それらが噛み合い、機能する環境を整えることで、双方に新たな軸が生まれる。
■テーブル天版
・彫刻塗り
・サイズ W×D×H(mm)
 800×800×25脚は別途
・デザイン
 インテンショナリーズ
■プロデュース
 ubushina 立川裕大
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2007/5/10


加賀象嵌 Kaga-zougan 

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 象嵌(ぞうがん)とは、工芸品の装飾技法のひとつで、金属・陶磁・木材などの表面に模様を彫り、そのくぼみに金・銀・貝など他の材料をはめ込むもの。石川県の金沢では、400年以上の歴史がある伝統工芸である。
 起こりは江戸時代。加賀藩2代藩主・前田利長が装剣技術を開発するために京都から金工宗家後藤3代琢乗を招いたのがはじまりだ。
 加賀象嵌はもともと刀や馬具に用いられたが、中でも鐙(あぶみ・乗馬の際の足を乗せる装具)は耐久性、デザインともに優れ、天下の名品と呼ばれたとか。
 加賀象嵌は、打ち込まれた紋様が衝撃を受けても剥脱しづらい。加えて、草花や虫などのモチーフを華麗に表現する意匠が素晴らしい、きらびやかな光沢を放ちながらも品格のある繊細な逸品だ。現在も床の間の置物や装飾品、花瓶、香炉などが作られ、伝統工芸として受け継がれている。
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