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2008/9/10


京印章 Kyou-inshou 

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 京印章(きょういんしょう)は京都で作られる印章(判子)のことである。
 印章は、聖徳太子の飛鳥時代に中国から伝わったといわれ、大宝律令で国の制度に印章が取り入れられた。
 京都では平安時代になると天皇の印などが作られるようになり、時代とともに印章は天皇、公家、武士、豪商と使われるようになっていった。
 江戸時代に日本最初の印半師が京都三条に住んでいたといわれる。その後、京都では数多くの印半師が活躍し、京印章は芸術的にも優れた文化として現在に受け継がれている。
 京印象は中国の漢の時代の作風を引き、当初は、書体が中心であったが、平安時代後期には風雅を好む花印(かおう)も多様されるようになった。
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2008/8/13


詩吟 Shigin 

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 詩吟(しぎん)とは、漢詩や和歌などを独特の節回しで吟じ、歌う日本の伝統芸能である。
 日本語の言葉の語尾の母音を長く引き、そこに「節調」という独特の旋律を付加する唄い方の事を言い、詩吟を行う事を吟詠(ぎんえい)と言う。
 古くは中国から漢字が伝わった奈良・平安時代から、漢詩に節をつけて自由に歌っていたと言われている。
 今の詩吟の起源は、幕末・維新の頃、漢詩を吟唱する事が武士階級の間で流行し、今日行なわれている吟詠の直接の起源となった事に由来する。
 吟じ方には、一人で吟ずる独吟、数人で交互に吟ずる連吟、大勢の人が一緒に吟ずる合吟などがあり、剣舞を織り交ぜる事もある。
 詩吟は、現在では短歌や近体詩など漢詩以外の日本語でも吟詠されている、伝統芸能である。
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2008/7/31


手甲 Tekkou 

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 手甲(てっこう)とは、手首に装着して手首を保護する道具である。
 元々は武士が刀から手首を守るための護身用の防具であったが、旅人や飛脚なども利用した。
 武具としてのものは革製が多く、旅や労働のためのものは藍染の木綿が用いられる事が多かった。現在でも農作業やガーデニングの際に使われれている。
 伝統的な装束に欠かせないものとして、武者行列や祭りの太鼓、時代劇やお芝居などにも活躍している。
 また、仏衣の死装束で用いられるものでもあるが、現代では、故人が生前愛用していた私服やパジャマなどを着させることが多くなってきており、死装束としてはあまり用いられなくなっている。
 今では様々な材質でつくられており、マジックテープで止めることができるものや、実用以外に手元を飾るアクセサリーとして使用されたりもしている。
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2008/7/24


城下町 Jouka-machi Jouka-machi (Castle Town)

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 城下町(じょうかまち)とは、主に領主の居城を中心として成立した都市のことである。
 その成立は戦国時代とされ、織田信長による兵農分離で、武士を城下に住まわせると共に市場を設けて商工業を行なわせたことによるとされる。
 城下町としての基本構造は、城の付近を通る幹線道路を付け替えて、往来が城下を通るようにさせたもので、これにより商工業が活性化し、発展を促して城下に広く人々が集い、町が形成されていくこととなる。
 都市防衛についても様々な工夫が施されている場合が多く、川の有効利用や門の設置、道路わきの家屋を隙間なく建てて城を見えなくするなど、都市そのものが巨大な防衛能力を持つものもあった。
 居住地の区画割りも城を中心に近いほど身分の高い侍が住み、一般市民や寺社などは城から離れるにしたがって割り当てられた。
 現在においても城下町の風情を残す街は少なからずあり、それ以外でも番町や大手町、呉服町などの町名に往時を偲ぶことができるだろう。
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2008/7/17


一遍 Ippen 

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 一遍(いっぺん)は、鎌倉時代中期の僧。時宗の開祖。
 延応元(1239)年、伊予国(現・愛媛県)に誕生。10才で出家。法然の孫弟子にあたる聖達に師事。還俗し武士となり、再度出家し、専修念仏の生活へ。3年後、「十一不二」(全ての人が必ず極楽往生できるの意)を感得。
 その後、家族を連れて遊行の旅へ出る。念仏札や踊り念仏など、独特な布教活動が流行り、一躍カリスマの人となる。日本浄土教の系譜において、一際異質な存在と呼ばれる所以である。
 「信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できる」という絶対他力が時宗の教理である。大勢の念仏行者を率いた遊行は困難を極め、徐々に縮小し、他宗派に浸食された。しかし、一遍の高潔な人格と庶民教化への姿勢は、時代を超えて評価されている。1940年に国家より証誠大師号を贈られた。
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2008/7/11


古樺細工 Furukaba-saiku 

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 古樺細工(ふるかばさいく)とは、秋田県仙北市角館町に伝わる伝統民芸である。県の有形民俗文化財に指定されている。
 樺細工は、天明年間(1781~89年)に佐竹北家により、秋田県北部から角館に技法が伝えられたのが始まりとされる。
 佐竹北家の城主に手厚く保護を受けた樺細工は、下級武士の副業として広まり、明治時代に入ると禄を失った武士が本格的に取り組み、盛んとなった。
 樺細工はヤマザクラの木の皮を用いて作られる、国内では他に見る事のできないもので、あめ皮、ちらし皮、ひび皮等12種類の木の皮を使用し、用途に応じて使い分けられている。また、仕上げられた作品に同一の物はない。
 藩政期の古樺細工12点は県指定有形民俗文化財であり、角館樺細工伝承館にて展示されている。
 古樺細工は、郷土に伝わる貴重な伝統工芸品である。
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2008/7/9


刀工 Toukou 

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 刀工(とうこう)とは、日本刀を作ることを職とする者の事で、通常、日本刀の刀身を鍛える職人・刀鍛冶を指す。また、刀匠とも言われる。
 日本は職人の地位が高く、古くから大切にされてきたが、中でも日本刀はまつわる話も多く、名刀工、名匠とされる人々も多くいる。
 日本刀は、使用されたそれぞれの時代の戦闘様式や風潮、流行などにより、その形態を大きく変化させてきた、高い機能性と美術性を兼ね備えた武器である。
 江戸時代初期の頃までは多くの戦に用いられ、武士の魂とも言われたが、平和な江戸中期には一時衰えた。その後、復古刀が全盛となり、幕末には多くの刀が使用されたが、明治維新以後は銃器に取って代わられた。
 現代では、武器と言うよりも美術工芸品として、愛好家の間で売買されている。
 刀工は、崇高な品格と芸術性を持つ日本刀の刀身を作る、世界に誇る職人である。
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2008/7/4


薩摩琵琶 Satsuma-biwa 

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 「薩摩琵琶(さつまびわ)」は鹿児島県鹿児島市に伝わる伝統工芸品であり、国の無形文化財に指定されている。指の間隔と音感をもとに、音色に琵琶独特の揺りや変化が付けられるのが特徴である。
 戦国時代(1493~1573)、九州の薩摩地方で薩摩・大隈・日向の第一五代領主・島津貴久(しまづたかひさ)の実父・忠良(ただよし)が、盲僧の淵脇了公(ふちわきりょうこう)に作曲をさせ語らせたのがはじまりであるといわれる。武士の士気を鼓舞する目的で作られ、詞章は教訓的な内容であったという。
 江戸時代中期には町人の間にも広まり、娯楽として琵琶に親しむようになる。明治維新以後、薩摩藩の東京進出に伴い、薩摩琵琶は全国的に広まった。
 三味線は弦の長短で音高を出すが、琵琶は弦の張力で音高を出す。左手の位置はほぼ固定した状態で、高い柱を使い、三本の指を使って弦を締めたり弛めたり調節しながら、音を作り出していく。琵琶の独特ある力強い響きは、大きく尖った撥(ばち)により、勇壮な音を奏でていく。
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