NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/18


粟嶋神社 Awashima-jinjya 

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 大分県豊後高田市の旧真玉町と旧香々地町の境に位置し、海に突き出た岩窟に社がある珍しい神社。いつの頃からか縁結びや安産など女性の願いを叶えてくれる神様として信仰される様になり、多くの参拝者が訪れている。また、桜の時期には荒々しい海の景観と桜がダブルで楽しめ、人気がある。隣接している粟嶋公園に設けられた木造の展望台からの眺望も素晴らしい。
 旧暦3月3日は粟嶋さまのお祭りで、この日は潮が一番引く日。竜宮に続いている道が現れると云われ、その道は八代竜王を祭る猪群山(いのむれやま)へと続いていると云われている。
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2007/6/5


ワッカ原生花園 Wakka-gensei-kaen Wakka Wild Flower Garden

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 ワッカ原生花園(わっかげんせいかえん)は、北海道北見市常呂町栄浦に広がる花園である。
 オホーツク沿岸の網走国定公園に位置し、日本三大湖の一つサロマ湖の畔にある自然の宝庫で、北海道遺産に指定されている。
 ワッカとは、アイヌの言葉で「飲料水」あるいは「湧き水」を指すとされる。
 サロマ湖とオホーツク海を隔てる細長い砂州には「ワッカ花の聖水」と呼ばれる湧き水があり、良水に恵まれていることから名付けられたとも言われる。
 幅は200~700m、全長約20kmに及ぶ砂州は、日本最大の海岸草原である。
 森・草原・砂丘・湿地が混在し多様な生態系を形成し、帰化植物も含め300種以上の草花が咲き、野鳥が生息している。
 ワッカ原生花園は、龍宮街道とも呼ばれる色鮮やかな自然の景勝地である。
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2007/6/4


小樽 オタモイ海岸 Otaru Otamoi-kaigan Otamoi Coast

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 小樽のオタモイ海岸は、北海道小樽市に広がる風光明媚な海岸である。ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されており、小樽八景のひとつに数えられる。
 オタモイの地名はアイヌ語で「砂浜の入り江」を意味するが、今ではその面影はなく、岩肌が剥き出す磯に変わっている。
 奇岩や絶壁など勇壮な海岸線を見ることができ、200m以上ある断崖に沿った遊歩道がつくられている。夏は海水浴も楽しめ、釣りやロッククライミングの練習の場としても親しまれている。
 もともと一帯は「白蛇の谷」と呼ばれる秘境で、隣の入り江はオタモイ地蔵で知られる古くからの霊場であった。
 昭和初期には、北日本随一といわれた「オタモイ遊園地」があった。そこには京都の清水寺を思わせるような割烹「龍宮閣」や、そこからオモタイ地蔵までの遊歩道が整備され、その他に遊園施設、弁天堂、演芸場なども建てられ、多くの人が訪れたが、昭和二七(1952)年に焼失した。
 オタモイ海岸は、美しい海岸線を誇る名勝である。
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2007/5/29


群馬 吹割の滝 Gunma Fukiware-no-taki The Fukiware Waterfall

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 群馬の吹割の滝(ふきわれのたき)は、群馬県沼田市利根町にある滝である。国の天然記念物に指定されている。
 高さ7m、巾30mで、轟音を立てて落下、飛散する瀑布は、東洋のナイアガラと呼ばれる程の迫力である。
 名前の由来は、川床を吹き割るように水が流れ落ちることから、と言われている。
 昔から吹割の滝の滝壺は竜宮に通じているという伝承がある。
 祝儀などに使用する為のお膳やお椀の数を手紙に書いて滝壺に投げ込むと、翌朝、頼んだ数だけ岩の上に置かれたという。しかしある時、数を間違えて一組だけ返し忘れてしまった所、二度と貸して貰えなくなったとか。
 今でも、この膳椀は竜宮の椀とよばれ、大切に保存されている。
 吹割の滝は、竜宮伝説に彩られた豪快な名勝である。
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2007/5/7


臼碆 Uusbae Usubae Rock

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 高知県足摺岬の西、絶壁の先にぽっかりと浮かんだ碆(はえ)。
 海の中にある岩をこの辺りでは、波の下に石と書いてハエと云う。
 大きさは海上2m、周囲10m。この碆に寒流である親潮と南から流れてくる黒潮の潮目が達する時、碆を中心に大きな渦がまく。その形が、碾き臼(ひきうす)で粉をひいている様に見えるところからこの名前がついた。
 はじめは、この岩場だけを「臼碆」と呼んでいたが、最近ではこの岬一帯を「臼碆」と呼ぶようになった
 この岬の先端の岩場には「竜王宮神社」がある。潮のぶつかるこの辺りはよい漁場で、その昔、夫が出漁した後、女房達は女だけで酒と肴を持ってお参りに行き、航海の安全と大漁を祈願した。
 真上の展望台から見る臼碆。隣の鵜ノ岬から眺める臼碆。つい、渦の下から竜宮王が立ち上ってきそうな錯覚に陥る。
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2007/4/20


神奈川 江島神社 Kanagawa Enoshimajinja 

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 神奈川の江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にあり、祭神は、宗像三女神で、江島大神(田心姫神・市杵島姫神・湍津姫神)と呼ばれている。
 欽明天皇一三(552)年、勅命で島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが創祀と伝えられ、奥津宮・中津宮・辺津宮それぞれに女神を祀っている。
 宗像三女神は、神仏習合では、弁財天とされ、ここ江島神社は厳島神社・竹生島神社と並ぶ、日本三大弁天の一つに数えられる。
 神仏習合の時は、金亀山与願寺といい、江戸時代には弁財天信仰が高まって江ノ島詣の人で大変な賑いを見せた。その後、神仏分離により仏式を廃し、江島神社となった。
 近年は龍神信仰も高まり、平成6年には龍宮(わだつみのみや)を建立。
 江島神社は、七福神巡りも盛んで、今も昔も変わらず参拝者の絶えない神社である。
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2007/4/13


厳島神社 社殿 Itsukushima-jinjya Shaden The Shaden of Itsukushima Shrine

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 平安期の建築様式である、寝殿造りを忠実に伝える社殿は、国宝に指定され、創建は推古天皇元(593)年。その後、仁安三(1168)年ごろにに時の権力者であった平清盛によって現在の華麗な姿に改められた。
 度重なる再建にもかかわらず、造営当初の建造物の面影を現在に伝える貴重な例であり、寝殿造りの様式を、宮島の山と海との境界を利用して実現させているところが、見所である。
 入り江に潮が満ちてくると廻廊をめぐらした社殿が水に包まれていく。紺碧の海に浮かぶ、朱塗り、桧皮茸の荘厳な社殿の姿は、息を呑むほどに美しく、まるで竜宮城のようである。
 瀬戸内で繰り広げられてきた幾多の栄枯や戦禍を見つづけてきた大鳥居は、北の沖合いにある。かつては満ち潮に乗って海中に建つ大鳥居をくぐり、参拝するのが作法であった。
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2007/3/5


和多都美神社 Wadazumi-jinjya 

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 海彦・山彦の神話で知られる神社。 
 彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと・海彦)が失った釣り針を探してこの海宮を訪れ、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と結ばれたと伝えられる。
 満潮の時は、神殿の近くまで海水が満ち、その様は竜宮を連想させ、海神にまつわる玉の井伝説の御遺跡や満珠瀬、干珠瀬、磯良恵比須の磐座などの旧跡も多い。
 また本殿の後方に2つの岩がある。これを夫婦石と称し、この手前の壇が、豊玉姫命の墳墓(御陵)で、西手の山下に石があり、それが彦火火出見尊の墳墓(御陵)であるとされている。
 波おだやかな浅茅湾の本殿正面の海から本殿に向かって連なる5つの鳥居は満潮時、2mほど沈み、神秘的な姿を見せてくれる。
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