NIPPON Kichi - 日本吉

2007/5/17

墨俣城 Sunomata-jou 

Jp


 稲葉山城(岐阜城)の攻略を狙う織田信長が、美濃の前線基地として、城地に選んだのが墨俣だった。長良川と平行して流れる犀川が二つに分かれる三角地帯にある。
 信長配下の佐久間信盛、柴田勝家、織田勘解由らが築城しようとしていたが、斎藤方の襲撃が激しく、実現することが出来なかった。この為、永禄九(1566)年に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が願い出て、蜂須賀小六正勝ら川並衆を集め、密かに城地を造成した。
更に、長良川の上流で木組みを整えた木材を流し、墨俣で組み立てたので一夜にして城が出現したのである。
 その後、美濃が攻略されると役目を失った墨俣の砦は廃城となり、現在は公園となって今は歴史資料館である模擬天守が建っている。
 この資料館には木下藤吉郎の一夜城築城の様子をはじめ、墨俣の歴史資料や風土を紹介している。

この記事をお気に入りに、追加します

住所
503-0102 岐阜県大垣市墨俣町墨俣
名前
墨俣城




NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter