NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/7


白峯神宮 Shiramine-jingu 

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 京都西陣に建つ白峯神宮(しらみねじんぐう)は、無念の死を遂げた二人の天皇の慰霊のために、明治天皇により創建されたとされている。
 崇徳天皇は保元元(1156)年、保元の乱に敗れ、讃岐に流され、亡くなったとされている。白峯の名はその崇徳天皇崩御の地となった白峯山に由来するといわれている。
 孝明天皇(こうめいてんのう)は異郷に祀られていた崇徳天皇の慰霊のため、京都に移すよう幕府に働きかけるが、間もなく崩御。
 明治元(1868)年、明治天皇は父の遺志を継ぎ、社殿を建て、崇徳天皇を祀る。また、藤原仲麻呂の乱により淡路に流され亡くなった淳仁天皇が、明治六(1873)年に合祀されている。
 代々蹴鞠の師範を家業とした飛鳥井家(あすかいけ)の屋敷跡に建つことから、飛鳥井家の鎮守神であり、鞠の神様といわれている精大明神も祀られている。
 今では蹴鞠の神様として、サッカーをはじめ、球技全般の守護神として知られ、スポーツ関係者が多く参拝に訪れるという。 
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2008/6/16


京都 八木邸 Kyouto Yagi-tei 

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 京都市壬生にある壬生寺にほど近い「八木邸(やぎてい)」は、八木源之丞の屋敷で、新選組の最初の屯所が置かれた場所である。幕末の京都の治安を守った新撰組が、まだ「壬生浪士組」と呼ばれていた頃、隊士が三年ほど宿舎として利用していた。
 八木家は江戸時代、壬生郷士(みぶごうし)と呼ばれた武士の家である。城下に住む武士に対し、郷に住む武士のことを郷士といい、村きっての旧家として、壬生村の運営に携わってきた。
 通りに面した長屋門は、文化元(1804)年に造営され、また母屋は、文化六(1809)年に造営された。新撰組発足の場所として知られるこの建物は、当時の日本家屋の特徴が随所に残され、天井も鴨居も低い造りとなっている。近藤勇の像が飾られた座敷では、新撰組に関する話を聞くことができる。また、鴨居に残る刀傷は、文久三(1863)年九月一八日夜、芹沢鴨・平山五郎らが斬殺された時のものと言われ、歴史の傷跡を今に見ることができる。芹沢鴨らが暗殺されたのは新撰組発足から僅か半年のことであった。
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2008/4/15


三井八郎右衛門邸 Mitsui-Hachirouemon-tei Residential House of Hachirouemon Mitsui

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 東京都小金井市「江戸東京たてもの園」の三井八郎右衛門邸は、昭和二七(1952)年に麻布笄(こうがい)町(現在の港区西麻布三丁目付近)に建てられた。
 一階に客間、食堂、厨房、配膳室など、そして二階に夫婦の寝室、浴室、仏間などがある間取りとなっている。
 戦火で焼失した三井総領家の邸宅建設にあたり、各地の三井家の建物から部屋が移築され、建築部材や石材が集められた。京都にあった客間は明治三〇(1897)年頃、そして食堂、土蔵なども明治期のものである。
 和室の客間はカーペット、テーブルに椅子というスタイルで、天井には剪綵(せんさい)と呼ばれる色糸や絹布などで作った細工物が施されている。階段上には、今では珍しいチェコガラスの豪華なシャンデリアがあり、すぐ隣の仏間の襖の引手にはターコイズカラーの七宝焼がはめ込まれている。
 この建物は、和と洋を拮抗させた空間に満ち溢れ、まさに江戸から明治、昭和の三井家のエッセンスがいたるところに凝縮されている。
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2008/2/12