国峰城跡 Kunimine-jyou-ato Kunimine Castle Ruins
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群馬県を代表する山城。築年は定かではないが、室町時代後半、もしくは戦国時代と考えられている。
国峰城は、関東管領の上杉氏の家臣、小幡氏の居城であった。しかし、天文二一(1552)年、小田原の北条氏に攻め入られた主君の上杉憲政が平井城(現群馬県藤岡市)を脱出した後は、武田信玄を頼って家臣となった。天正三(1575)年の長篠の合戦では、武田騎馬軍の中心として戦ったという。
武田氏滅亡後、小幡氏は織田信長に仕え、領土も広げたが天正十八(1590)年の小田原征伐のとき小田原側(北条側)についたため敗れ、国峰城も廃城となった。
国峰城は南北2.5キロ、東西2キロの大城郭。見どころは年月をかけて整備した居住部と山城の遺構、竪濠など。保存状態もよく、登城路も整備されている。
国峰城は、関東管領の上杉氏の家臣、小幡氏の居城であった。しかし、天文二一(1552)年、小田原の北条氏に攻め入られた主君の上杉憲政が平井城(現群馬県藤岡市)を脱出した後は、武田信玄を頼って家臣となった。天正三(1575)年の長篠の合戦では、武田騎馬軍の中心として戦ったという。
武田氏滅亡後、小幡氏は織田信長に仕え、領土も広げたが天正十八(1590)年の小田原征伐のとき小田原側(北条側)についたため敗れ、国峰城も廃城となった。
国峰城は南北2.5キロ、東西2キロの大城郭。見どころは年月をかけて整備した居住部と山城の遺構、竪濠など。保存状態もよく、登城路も整備されている。
- 住所
- 群馬県甘楽郡甘楽町
- 名前
- 国峰城跡