NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/10


薩摩川内 女講 Satsuma-sendai Onna-kou 

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 薩摩川内女講(さつませんだいおんなこう)は、鹿児島県薩摩川内市東郷町山田上地区で江戸時代から伝わる伝承行事である。
 日ごろ農作業と家事で忙しい妻たちに感謝し、女装して嫁女(よめじょ)となった夫たちが一日間甲斐甲斐しく妻たちの世話をする。
 十月初旬、稲刈りも終わり農作業がひと段落したところで、その年の当番である座元(ぬしどん)が、家々を回り野菜などの具材を集める。鶏料理や田楽などを手料理し用意が整ったところで妻達を家に招き、給仕、晩酌、片づけなど全ての世話をする。
 その際の嫁女の格好は女性の着物にほおかむり、真っ白なおしろい、ピンクの頬紅をつけ、慎ましやかで、よく気が利く大和撫子だ。
 いつもと立場が逆になり、夫は妻の大変さを身をもって感じ、妻は料理にケチをつけたりと威張ってみせる。
 最後に嫁女は箒を持ちだして座敷を掃き始め宴会は終了する。
 いつもはたくましい九州男児達が捨て身で妻を楽しませる。みんなで笑いながら福を呼び、その年の豊作を喜びあう行事である。
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2008/9/5


下倉の田植踊 Shimokura-no-taue-odori 

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 田植踊(たうえおどり)はもともとは正月を中心として行われる、豊作をあらかじめ願い祝う予祝行事だ。
 東北地方一帯ではこの田植踊が風流化され、地域性の濃い芸内容を持った踊りとして展開し、正月以外にも披露されるようになった。
 下倉の田植踊(しもくらのたうえおどり)は宮城県仙台市青葉区で開催されている踊りで、毎年九月二九日の夜に行われている。
 午後六時頃、早乙女と青い頭巾に黒い衣装の子供など約二〇名が現れ、太鼓の音とともに踊る。歌の調子は情緒的で切ない。また、江戸時代に流行した歌舞伎踊りの風情がみられる。
 宮城県指定の民俗文化財になっており、下倉の田植踊保存会が伝承を守っている。
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2008/7/17


田面船 Tanomo-fune 

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 田面船(たのもふね)は、広島県尾道市に伝わる屋形船の郷土玩具である。
 旧暦八月一日(九月一日)の田面の節句に、男子の生まれた家へ贈られる船のことで、男子が歩けるようになると田面船を曳いて、産土神(うぶすながみ)に参る風習があり、この時期になると作られるという。
 この玩具は、神棚作りで余った材料を片手間に、手作業で作られるもので、その季節が近づかないと作られないという。
 田面とは「田の実」の事で、豊作を祈る農家の祭りである。この地方では祭りが盛んで、田面の船にお米の粉を蒸してお餅状のものに細工をした「しんこ細工の馬」や「人形」を飾って川へ流すという。
 元来は豊作祈願であったのだが、後に幼児の健やかな成長祈願の意味を加えてきたとされる。
 この船は、北国から鰊(にしん)や昆布を運んできた船を模ったとも言われ、船腹には波模様・鶴・鯛などの縁起ものが描かれている。田面船は、長い歴史を誇る郷土玩具である。
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2008/5/15


甲州だるま Kousyuu-daruma 

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 甲州だるまは山梨県甲府地方の伝統工芸品で、大神宮祭・十日市などの縁日で招福・厄除けの縁起物として売られ、一般的な赤だるまのほかに数種類ある。
 江戸時代初期に地元の武井八衛門(たけいはちえもん)という人物が、武田信玄の顔を模して作り始めたのが、はじまりと伝えられている。農家の副業として発達し、かつては十数人の職人がいたが、今では製作者は市内に一人だけという。
 柳や桜の木型に和紙を幾重にも張り付けし、重しを乗せ赤や白の塗料を塗り重ね、最後に面描きをして数日間乾燥させる。完成まで二〇以上の工程を要し、製作にはおよそ一ヵ月かかる。
 四百年の伝統に培われた気品と風格はまさに天下一で、顔面の彫りが深く鼻が高いのが特徴。目玉を下まぶた寄りに書き入れるため、神棚に祀ったとき、拝む人と目が合うように見えることから、「下見だるま」とも呼ばれる。
 豊作を願う白だるま、子孫繁栄を願う親子だるまといった、この地方特有の珍しいものもある。
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2008/5/12


葛木御歳神社 Katsuragi-mitoshi-jinja Katsurag-mitoshi Shrine

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 「葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)」は、奈良県御所市にあり、ご祭神は本社の背後にある御歳山(みとしやま)という美しい山で、金剛山の扇状地に開けた稲田を御守護された、穀物をつかさどる神で知られている。
 朝廷で豊作祈願のためにおこなわれた年頭の祈年祭(としごいのまつり)では、はじめに御歳神の名が読みあげられたという。
 ここの神社は、代々鴨氏が祭りごとをおこなってきた神社のひとつである。御所市にある上鴨社(かみがもしゃ)の高鴨神社(たかかもじんじゃ)、下鴨社(しもがもしゃ)の鴨都波神社(かもつばじんじゃ)とともに、中鴨社(なかがもしゃ)と呼ばれ、「中鴨さん」の愛称で親しまれている。
 現在の朱塗りの本殿は、春日大社から移されたものである。
 ここでは正月三日まで、一年の無病息災を祈願し、御歳神さまからの魂がこもった「御歳魂(おとしだま)」のお餅を授与している。
 正月の鏡餅は御歳神へのお供え物であり、このおさがりのお餅「御歳魂」が「お年玉」のはじまりになったといわれている。
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2007/12/28


人里獅子舞 Henbori-shishi-mai 

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 古くから受け継がれてきた伝統芸能が多く残る桧原村。その伝統芸能のひとつである獅子舞は、全て三匹獅子によるもので、起原は室町時代にまでさかのぼるといわれている。
 人里(へんぼり)地区にも古式ゆかしい人里獅子舞が伝承されている。人里獅子舞は九月の中旬に、豊作を祈願して五社神社に奉納される舞である。
 「庭がため」から始まり、「ふじがかり」「三拍子」「笹がかり」など一一の演目が次々と披露される。
 祭りの最後は「大太刀がかり」で締めくくられる。二組の太刀引きと獅子によって演じられる、真剣勝負の舞である。太刀引きとの争いに勝った雄獅子が刀を口にくわえる場面は、祭りのクライマックスである。
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2007/7/31


廿一田植踊 Nijuu-ichi-taue-odori 

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 廿一田植踊(にじゅういちたうえおどり)は、宮城県気仙沼市にて毎年元旦の早朝に行われる民俗芸能である。県の民俗文化財に指定されている。
 1830年代頃に起きた天保の大凶作の際、一人の若者が黒川方面で習得した田植踊りを広めたのが始まりだといわれるが、岩手県気仙地方から伝わり江戸時代から踊っていたとする説もあり、定かではない。
 廿一という名前は、地域に神社が21社あった事に由来しているという。
 毎年元旦の早朝に八雲神社と古峰神社で豊作祈願の舞いを奉納した後、地区の農家を門付して回る。
 22個の演目がある本踊りは「ハーヤンドーヤーハイ」の威勢の良いかけ声から始まり、手に太鼓を持ち演奏しながら踊る。
 太鼓を叩くテンポは速く、動作はひとつひとつ大きく、力強い。そのたくましい鼓舞が、豊作を祈る心を表しているようである。
 廿一田植踊は、古来の芸風を継承保持する伝統芸能である。
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2006/12/15


浮立面 Fuyumen Furyumen

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 佐賀県鹿島市の郷土芸能である「面浮立(めんぶりゅう)」で、かけうち(踊り手)がつける鬼の面を浮立面(ふりゅうめん)と言う。
 面浮立は豊作や雨乞いを願う、この地方独自の伝統芸能。踊り手は鬼の面(浮立面)をかぶり、頭にシャグマ(毛または麻)を着け、前には小太鼓を吊り下げ、笛、鉦、太鼓など囃子に合わせて手を振り足を上げて踊る、それは勇壮な踊りだ。佐賀県の重要無形民族文化財にも指定されている。
 このとき着ける「浮立面」には雄と雌の2種類ある。雄は口を結び、目の玉が大きく、額に皺の線が寄り、大きな角が生えている。雌はそれに対して角が短く、口を大きく開け、舌を大きく伸ばし、目は吊り上がっている。面師が昔ながらのノミを振るい、楠、桐、桧、能古見杉などの木目を活かしながら、丹誠込めて緻密に彫る面浮立は、見る者を圧倒する凄みを持つ。
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