NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/1


白磁透かし彫り Hakuji-sukashibori 

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 「白磁透かし彫り(はくじすかしぼり)」とは、長崎県指定無形文化財で、三川内焼(みかわちやき)のひとつに数えられている。
 その昔、豊臣秀吉が起こした朝鮮の役を別名「焼物戦争」といい、各地の大名は秀吉の命により、朝鮮の陶工を連れ帰った。平戸藩主・松浦鎮信(まつうらしげのぶ)は慶長三(1598)年、陶工・巨関(こせき)を連れ帰り、巨関が藩主の命で平戸・中野に最初の窯入れをしたのが三川内焼の始まりである。
 伝統ある三川内焼には、唐子絵に代表される呉須(ごす)による染付、薄手白磁の卵殻手などが挙げられるが、特に特に高度な技術と芸術性に富んだ作品が、精巧緻密な白磁透し彫りである。玉泉(ぎょくせん)製陶の第一四代の福本正則氏は、先代・福本数市氏に師事し、三川内焼の中でも「白磁透かし彫り」の秘法を伝授された。
 玉泉窯の中で代表的な作品が「香炉」である。数ミリ間隔で無数に開けられた亀甲型の穴から明かりが灯される時、光の美しさと陶磁器の白さが重なり、優しい姿が写し出される。
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2008/6/30


平林城 Hirabayashi-jou 

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 平林城(ひらばやしじょう)は新潟県岩船郡神林村平林に位置する中世時代の居城跡である。別名加護山城(かごやまじょう)とも呼ばれている。
 築城年は不明であるが、一四世紀頃の南北朝時代に存在した。最初は南朝派の豪族平林氏の居城であったが、のちに北朝派の色部氏が制圧した。
 慶長三(1598)年に上杉景勝の会津移封により廃城となり、周囲の人口も激減したため風化していった。
 数多くの遺構が残っており曲輪、堀切、土塁、空堀、虎口、馬洗い、首切り清水などが発掘されている。
 中世史を理解する上に重要な史跡として、昭和五三(1978)年、国指定の史跡名勝記念物となった。
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2008/6/20


村上城(臥牛山城) Murakami-jou(Gagyuuzan-jou) 

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 村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市一之町の臥牛山(がぎゅうざん)にあった平山城で、歴代の村上藩主の居城であった。またの名を「臥牛山城」とも言う。標高135mの「臥牛山」は、その山容が、草の上に伏した牛の姿に似ている。
 戦国時代、この地の領主で上杉家家臣であった本庄氏が築城したとされ、当初は木柵がはりめぐらされた中世式の城郭であった。
 慶長三(1598)年、上杉景勝の会津転封に伴い本庄氏も会津へ追従した。上杉転封のあとに越後には堀秀治が入封。このため村上城も堀秀治の家臣・村上頼勝が領主となり、その時に、城下町の整備と共に石塁が増築され、三層造りの天守閣も造営された。
 村上氏以降、幕末まで約二〇回ほども城主が入れ替わり、幕末に旧幕府軍側にたった村上藩は新政府軍の攻撃を受け、城は自落。残った建物もすべて焼失した。
 現在は石垣、門礎石などが残っており、散策コースが整備されている。平成五(1993)年に国指定の史跡となった。
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2008/6/12


桂春院 Keisyun-in 

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 京都妙心寺には四〇余りの塔頭があるが、桂春院(けいしゅんいん)はそのひとつに数えられる。
 慶長三(1598)年、織田信忠の次男・津田秀則によって妙心寺に創建された見性院(けんしょういん)。秀則の死後、寛永九(1632)年に秀吉の家臣であった美濃の豪族・石河貞政が、父・光政の菩提所として見性院に方丈、庫裡、書院、茶室などを整備し、名を両親の法名から一文字ずつ取り、桂春院に改めたという。
 桂春院では江戸初期の作庭といわれる四つの庭も拝観できる。それらは「清浄の庭」「思惟(しい)の庭」「真如の庭」「侘の庭」と名付けられ、国の名勝・史跡に指定されている。
 庭園はそれぞれ違った趣をもち、豊かですばらしいものである。
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2008/5/1


米沢城址(松が岬城址) Yonezawa-joushi(Matsugazaki-joushi) 

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 米沢城址(よねざわじょうし)は、山形県米沢市丸の内にある城跡である。別名・松が岬城址(まつがざきじょうし)とも呼ばれる。
 暦仁元(1238)年、長井庄の地頭・大江時広(おおえときひろ)が創築したと伝えられる。後に伊達宗遠(だてむねとお)、慶長三(1598)年に、直江兼続(なおえかねつぐ)が入城。その後、景勝自身が入城して米沢藩・上杉氏の居城となり、明治維新を迎えた。
 現在は公園として整備されており、堀と石垣が残っているだけだが、花見の名所で春には200本の桜が咲く。
 園内には藩祖・上杉謙信(うえすぎけんしん)を祀る上杉神社があり、上杉家伝来の宝物を多数収蔵した稽照殿(けいしょうでん)が隣接している。また、濠外東方に松岬神社、同南方に上杉記念館・市立児童会館などが建っている。
 米沢城址は、上杉家ゆかりの歴史ある城跡である。
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2008/3/18


松橋焼 Matsubase-yaki 

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 熊本県宇城市(うきし)の松橋町で生まれた陶磁器として知られる「松橋焼(まつばせやき)」は、江戸時代初期から伝わる焼物である。
 文禄・慶長の役(1592~1598)の際、加藤清正・細川三斎らが朝鮮から陶工を呼び寄せ、熊本の近世の窯業が始まったといわれている。
 松橋町の松橋焼も、江戸時代初期から中期にかけて盛んに焼かれ、松橋の土を焼いた素朴な風情は当時の茶人達に好まれたと伝えられる。しかし、当時のものは散逸してほとんど伝わっていない。
 昭和四七(1972)年、陶芸家を父に持つ原構成が、松橋焼の再興と新たな気を吹き込むため現在地に「構成窯」を築窯。松橋焼は、松橋の鉄分を含む砂気のある粘土と青磁釉でつくられ、主に食器類が生産されている。
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2007/10/12


野上八幡宮 Nokami-hachiman-guu Nokami Hachimangu Shrine

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 野上(のかみ)八幡宮は、和歌山県海草郡起美野町に所在する古社。創建は、欽明天皇の時代、550年代まで遡るとされる。
 日本三大八幡宮のひとつ、京都の石清水八幡宮の別宮として、何百年もの間、多くの人々が信仰を寄せてきた由緒ある神社だ。
 桃山時代に建築された本殿をはじめとして拝殿、摂社武内神社本殿、刀剣など国の重要文化財を多数保有していることでも有名。見事な朱塗りの社殿は昔日の名残を今もとどめている。
 毎年10月中旬の日曜日には秋祭りの獅子舞が盛大に執り行われ、近隣の人々でにぎわう。
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2007/9/6


長泉寺 Chousen-ji Chosenji Temple

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 長泉寺(ちょうせんじ)は、宮城県角田市角田長泉寺にある曹洞宗の寺である。本尊は釈迦牟尼仏。
 高源山または六国峯と号し、千葉県市川市総寧寺を本寺とする東北屈指の名刹である。
 永享八(1436)年、磐城国三芦城主・石川持光を開基とし、即庵宗覚禅師を開山として福島県石川町に創建された。
 石川氏の篤い外護を受けるが、豊臣秀吉の奥州仕置による石川昭光の角田移封にともない、慶長三(1598)年、寺籍を角田に移転し、現在地に長泉寺を移建した。
 本堂のほか客殿・位牌堂・書院・庫裏・表門・中門・鐘楼などを備え、中門はもと角田城の内門を移転したもの。
 本堂奥の霊屋(おたまや)には、石川昭光の木像と殉死七士像が祀られている。
 長泉寺は、石川氏ゆかりの落ち着いた古刹である。
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