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2008/6/30


槍ヶ岳 Yariga-dake 

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 槍ヶ岳(やりがたけ)は北アルプス南部に位置し、標高は三一八〇m。日本では五番目に高い山である。
 天に矢を突いたような形が特徴的な槍ヶ岳は、日本のマッターホルンとも呼ばれ、三六〇度の大パノラマが多くの登山者を魅了する。難所は数々の歴史的なドラマを生み、小説の舞台にもなっている。
 東西南北に尾根を持ち、その間に四つの渓谷を持っている。氷河地形を残す渓谷は高山植物の宝庫となっており、夏には花が咲き乱れ、秋には紅葉に彩られる。
 古くは信仰の対象であった槍ヶ岳は、江戸後期の僧、播流隆上人(ばんりゅうしょうにん)が、文政一一(1828)年に初登頂し祠を安置した。その後も何難所に大綱や鉄鎖を掛けるために何度も登ったという。
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2008/6/13


井原西鶴 Ihara Saikaku 

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 井原西鶴(いはらさいかく)は、江戸時代に活躍した浮世草子・人形浄瑠璃作者である。本名は平山藤五(ひらやまとうご)。
 寛永一九(1642)年、大坂の裕福な町人の息子として生まれたと言われるが、定かではない。
 15歳の頃から文芸の道を目指して諸国を渡り歩き、天下一の速吟で知られた西山宗因(にしやまそういん)に師事し、俳諧師として活躍した。
 天和二(1682)年、小説・「好色一代男」により有名となる。
 これを始まりとし、江戸初期に上方中心に出された娯楽的な通俗小説の事を浮世草子と言い、浮世草子は大流行し、西鶴はその第一人者として活躍した。
 その後、好色物「好色一代女」、武家物の「武道伝来記」、町人物「日本永代蔵」「世間胸算用」などを雅俗折衷文で発表し、元禄六(1693)年、52歳で没した。
 井原西鶴は、江戸時代の元禄文化を代表する作家である。
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2008/6/5


大菩薩嶺 Daibosatsu-rei 

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 大菩薩嶺(だいぼさつれい)は、山梨県甲州市~北都留郡丹波山村にまたがる標高2056・9mの山である。日本百名山のひとつに選ばれている。
 中里介山(なかざとかいざん)の小説「大菩薩峠」により、嶺と呼ばれる山頂より峠の方が有名になっている。
 東京の西方に位置するこの山は、かつては武州多摩川筋から甲州笛吹川筋に抜ける甲州裏街道の峠路でもあった。
 笹で覆われ視界を遮る樹林のない峠からは、360度の視界を楽しむことができ、天気さえよければ富士山も見える。
 嶺の南は雷岩から賽の河原、大菩薩峠と続く尾根の草原、北側は針葉樹の樹林帯と趣がガラッと変わる。草原は夏から秋には、ヤナギランやマツムシソウの花畑となり人気がある。
 大菩薩嶺は豊かな眺望を誇る峠で知られる、奥秩父の山である。
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2008/5/30


天城山 Amagi-san 

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 天城山(あまぎさん)は、静岡県伊豆市~賀茂郡東伊豆町にまたがる連山の総称である。日本百名山のひとつに選ばれている。
 伊豆半島を南北に分ける天城連山は、標高1406mの最高峰・万三郎岳(ばんざぶろうだけ)をはじめとして、標高1300mの万次郎岳、標高1197mの遠笠山など、数峰から構成されている。
 狩野山・尼木山の別名があり、木甘茶を産したので「アマギ」の山の名になったというが、天城山と呼ばれる峰はない。
 山全体が原生林の美しい山で、馬酔木(あせび)、ヒメシャラ、シャクナゲ、ブナなどの自然林に覆われており、道路網が発達し、麓には温泉宿が多い。
 山頂に立てば、雄大な大海原と富士山を見ることができる。
 天城山は、川端康成の小説「伊豆の踊子」でも広く知られる、豊かな植生を誇る連山である。
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2008/1/8


金剛院 三重塔 Kongou-in Sanjuu-no-tou 

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 三島由紀夫の小説「金閣寺」の舞台にもなった金剛院(こんごういん)は、京都府北部の舞鶴市にある。平安初期の天長六(829)年、平城天皇の第三皇子高岳親王(たかおかしんのう)が創建したと伝えられている。真言宗の古刹で、関西花の寺三番札所でもある。
 金剛院は多数の文化財を蔵する。そのひとつ、国の重要文化財に指定されている三重塔は、白河天皇が建てたといわれ、平安時代末期に修飾され、室町時代中期に再建された。現在の塔は、平安王朝の雅と室町の禅宗様式とを、その優美な姿に併せ持つ。高さ24・6m、こけら葺。
 塔内部は四天柱が設けられ、来迎壁には花頭窓がついている。須弥壇(しゅみだん)には後に出家して真如法親王となった高岳親王の坐像が安置されている。
 塔は楓などの落葉広葉樹に包まれ、春は新緑、秋は紅葉と、四季折々に訪れる人々の心をとらえて離さない。
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2007/11/9


津和野 森鴎外旧宅 Tuwano Moriougai-kyuutaku 

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 津和野の森鴎外旧宅(もりおうがいきゅうたく)は、島根県鹿足郡津和野町町田にある建築物である。国の史跡に指定されている。
 文久二(1862)年、森鴎外こと森林太郎はこの家で生まれ、明治五(1872)年に一〇歳で上京するまでここで過ごした。
 森鴎外は、明治から大正時代に活躍した文学者で、軍医総監陸軍省医務局長、帝室博物館総長兼図書頭などを務めながら、小説「舞姫」や「雁」といった作品を発表した。
 旧宅は、木造平屋建て、瓦葺きの簡素な造りで、四畳半の鴎外の勉強部屋や、藩医の家らしく調剤室も残っている。
 また、隣接して森鴎外記念館が開館しており、鴎外の生涯と功績を顕彰している。
 森鴎外旧宅は、文豪の少年時代を暮らしぶりが伺える史跡である。
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2007/10/23


谷中霊園 Yanaka-reien 

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 谷中霊園(やなかれいえん)は、東京都台東区谷中にある約10万平方mの都立霊園である。旧称を谷中墓地といい、東京の三大霊園の一つとされる。
 明治七(1874)年、谷中天王寺と寛永寺の敷地を東京市が引き継ぎ、谷中墓地として開設した。
 園内には、長谷川一夫、横山大観、徳川慶喜、鳩山一郎など、多くの著名人が眠り、幸田露伴(こうだろはん)の小説で有名な谷中天王寺の五重塔跡も存在する。 五重塔跡付近には、駐在所と児童公園がある。
 霊園の中央を通る通称「さくら通り」は、春にはまるで桜のトンネルのようにもなる、桜の名所としても知られている。
 周辺は昔ながらの下町の面影を残した地域であり、多くの人が霊園やその周辺の散策に訪れる。
 谷中霊園は、多くの著名人が眠る、7000基以上の墓が建っている霊園である。
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2007/7/19


伊香保まつり Ikaho-matsuri Ikaho Festival

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 伊香保まつり(いかほまつり)は、群馬県渋川市伊香保町の伊香保神社にて毎年9月18日~20日にかけて行われる祭りである。
 伊香保神社は、推古天皇の時代(592~628)に創建された社で、祭神は大己貴命、少彦名命。
 承和二(835)年、名神大神の社格を拝授した9月19日を、神社の例大祭とした。
 伊香保温泉伝統の「樽みこし」や本神輿が勇壮に石段街を練り歩き、クライマックスの樽神輿渡御では、いずれも御輿でもみあいながら365段の石段を登る。
 時には勢いあまって石段を転げ落ちる事もあり、とてもスリリングで見応えがある。
 また、小説「不如帰」の著者・徳冨蘆花の命日を痛む追悼茶会・蘆花祭も開催される。
 伊香保まつりは、子供から大人までが参加出来る、温泉街独特の情緒に包まれた祭りである。
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