NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/31


渡月橋 Togetsu-kyou 

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 「渡月橋(とげつきょう)」は、京都嵐山の桂川に架かる、全長一五五メートルの橋である。
 別名「嵐橋」とも呼ばれるこの橋は、承和三(836)年、弘法大師の弟子である道昌(どうしょう)が、大堰川(おおいがわ)修復のとき架橋したものである。
 亀山上皇が、曇ひとつない夜空に、まるで月が橋を渡るかのような風景をみて「くまなき月の渡るに似る」とひと言もらしたことから「渡月橋」の名がついたといわれている。
 この橋は、応仁の乱での焼失や洪水などで幾度か再建されたが、慶長一一(1606)年に角倉了以(すみのくらりょうい)によって現在の位置に架けかえられた。
 現在の橋は昭和九(1934)年に鉄橋として改修されたものだが、橋の欄干(らんかん)や桁隠しやは木製を使い、昔の面影を今に伝えている。
 渡月橋の南には、桜の名所で全国的に有名な標高三七五メートルの嵐山がある。お花見や新緑、紅葉や雪景色など、まさに四季折々の素晴らしい景観が楽しめる場所である。

 
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2007/4/23


桂離宮 Katsura-rikyu 

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 桂離宮(かつらりきゅう)は京都市西京区、桂川の西岸に位置する八条宮家の別荘である。
 江戸時代初期に八条宮智仁親王により古書院が建築され、その後八条宮智忠親王により中書院、新御殿が増築され現在の形となった。
 桂川から水を引いて造園された庭園は回遊式庭園として築かれている。
 入母屋造、柿葺(こけらぶき)で作られた建物は書院造の中に多くの幾何学模様など西洋建築の技法を取り入れた斬新なものである。
 古書院縁側にある「月見台」、「歌月」の額や松琴亭の月見窓など多くの月を意匠とした観月の主題を持つ庭園としても知られる日本を代表する名園である。
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2007/4/6


山梨 猿橋 Yamanashi Saruhashi 

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 猿橋は、山梨県大月市猿橋町に位置する桂川にかかる橋である。
 山口県岩国市の錦帯橋、徳島県西祖谷山村のかずら橋とあわせ、日本三奇橋とも称され、国の名勝に指定されている。
 飛鳥時代に、百済の職人である志羅呼が、猿が体を支えあって橋を作り対岸に渡ったのを見て造ったのが始まりと言われる。延宝四(1676)年には橋の架け替えの記録が残り、現在の橋は昭和五十九(1984)年に再建されたものである。
 刎橋(はねばし)と言われる両岸から、四層に張り出された桔木を支点にして木の桁を渡す構造になっており、橋脚を持たないという特色を持つ。
 全長約31メートル、幅約3メートルの橋から眺める風景は、歌川広重の絵にも描かれた絶景として、今も訪れる人が絶えない。
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2007/2/5


ホーランエンヤ Horan-enya Horan Enya

Jp En

 大分豊後高田の新年を祝う勇壮な「ホーランエンヤ」は、江戸中期に始まった伝統行事。
 当時は、長崎島原藩の領土であった事から、年貢米を島原や大阪の蔵屋敷に船で運んでいた。その年貢米を運ぶ回槽船の航海の安全と豊漁を祈願する行事として始まったと云われている。
 市の中心を流れる桂川が祭りの舞台。大漁旗や万国旗、五色の紙を付けた笹竹などで、華やかに飾り立てられた宝来船に、締め込み姿の若者と、囃子方、踊り子、関係者らが乗り込み、下流の金毘羅宮を出発。川をジグザグに漕ぎ上がり、上流の若宮八幡を目指す。途中、観客から祝儀が差し出されると、漕ぎ手の若者が厳寒の川に勢いよく飛び込み、受け取りに行く。そのお礼に宝来船からは拍手喝采が起こる。
 周辺にある「昭和の町」として甦った商店街の店頭には、その店のお宝、骨董など昔懐かしい品々が並ぶので、町並みを眺めながらの散策も楽しい。
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