NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/16


甑大明神 Koshiki-daimyoujin 

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 鹿児島県薩摩半島の西南、約40キロメートルの海上に浮かぶ甑島(こしきじま)は、中甑島、下甑島とともに甑島列島を形成する。
 手付かずの大自然が数多く残されており、紅白の色をした「鹿の子ゆり」の自生地として知られ、また釣りなどのメッカとしても人気がある。
 この上甑島のたもとにあるのが、「甑大明神(こしきだいみょうじん)」である。上甑島と中甑島の間に架かる、全長420メートル、幅員8メートルの甑大明神橋のそばにある。
 架橋地点のヘタノ串には、甑島列島特有の奇岩がそびえており、朱塗りの鳥居が建てられている。
 甑大明神には社殿はなく、米などを蒸す時の「甑(せいろ)」の形をした大岩が御神体として祀られている。これが「甑島」地名の発祥だといわれている。
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甑大明神橋 Koshiki-daimyoujin-bashi 

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 「甑大明神橋(こしきだいみょうじんばし)」は鹿児島県薩摩川内市甑島列島の上甑島と中甑島をつなぐ橋の一つで「ヘタノ串海峡」をまたいでいる。全長420メートル、幅員8メートルの斜張橋で平成五(1993)年三月に完成した。
 上甑島側の架橋地点のヘタの串には、甑島列島特有の甑(せいろ)の形に似た奇岩がそびえ、岩山を御神体にした甑大明神が祀られている。神殿はない。この岩が「甑島」という地名のもとになったと伝えられている。
 上甑島と中甑島の間に中島があり、甑大明神橋の先にはもう一つ、アーチ橋である「鹿の子大橋」がある。中甑島と中島に架かる全長240メートルの橋で、欄干のところどころにはメジロや鹿の子百合の絵が描かれている。
 甑大明神橋と合わせて、それまでは海を隔てて点在していた上甑村がひとつになり、便利になった。
 甑島列島には鹿の子百合が群生しており、7月から8月にかけて、島のあちこちに紅色の花が鮮やかに咲く姿がみられる。
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2008/1/30


海鼠池 Namako-ike 

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 海鼠池(なまこいけ)は鹿児島県甑島(こしきじま)列島の上甑島にある、甑四湖と呼ばれる小湖沼群のうち最大の池。湖底から海水が湧き出ており淡水が混じり合った汽水湖である。
 その名の通り海の掃除屋であるなまこ、小魚や海藻といった海の生き物が多く生息し、度々池から魚の跳ねる様子がみられる。昔は大量に獲れた魚の畜養池として利用されていた。
 湖表面積0・52平方キロメートル、最大水深約23メートル。
 甑四湖はほかにそれぞれ塩分濃度が異なる、貝池、鍬崎池(くわざきいけ)、須口池があり、生息している生物にも違いがある。
 この一帯は藩政時代、島津光久公が訪れた際に「眺めの浜」と命名した景勝地でもある。紺碧の海を背景として長さ約4キロほどの砂州と甑四湖が光をキラキラと反射させる様子はとても美しい。特に夕日の沈む様子は圧巻だ。
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瀬尾観音三滝 Sebi-kannon-mi-taki 

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 瀬尾観音三滝(せびかんのんみたき)は鹿児島県西北の下甑島(しもこしきじま)の瀬尾川上流にあり、55メートルの高さから三段になって落ちている滝である。
 瀬尾川周辺は江戸時代に郷土が居宅した場所で玉石垣の名残があちらこちらに見られる。滝壺近くには観音堂が祀られており、「川の水は甘露であり万能の薬水である」という評判が広まり、わざわざ遠方からこの水を求めて訪れる人も多かった。
 夜になると満天の星空の下、景観に合うように控えめのライトアップがほどこされ、神秘的な青白い水のヴェールが映し出される。
 周囲は休憩所、展望所、河川プール、グラウンドゴルフ場、ガラス工芸品などの施設とキャンプ場が整備されていて、夏は人気のスポットになる。
 また礫(れき)の多い急斜面には国の天然記念物指定のヘゴの群落がみられ、自然の豊かな地だ。
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2007/12/14


泰平寺 Taihei-ji 

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 鹿児島県薩摩川内市にある泰平寺(たいへいじ)は和銅元(708)年、元明天皇の勅願寺として天下泰平を祈願して創建された。当初から七堂と堀を備える大伽藍であった。
 戦国期には豊臣秀吉の九州平定時の本陣となり、秀吉と島津氏の和睦会の場となる。その際住持である宥印法印(ゆういんほういん)が和睦の斡旋に尽力したという。現在も宥印法印の墓石の横に記念の和睦石が残っている。 
 泰平寺を舞台とした民話「塩大黒」も残っている。この地方で塩が手に入らなかった頃、お坊さんが大黒天像に愚痴をこぼすと、大黒天像が本堂から消え甑島(こしきじま)から塩をどっさり持ってきたという話だ。
 寺は明治の廃仏毀釈にて取り壊され、大正時代に再建された。創建当初からの秘仏、薬師寺如来は行方不明となるが、大黒天像は難を逃れる事ができた。大黒天像は黒く煤けた木製の立像で、愛嬌のある柔和な笑みを浮かべている。
 平成二〇(2008)年は創建一三〇〇年にあたり、記念大法要が執行される。
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2007/10/11


因幡三山 Inabasanzan Inabasan-zan Mountain

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 因幡三山(いなばさんざん)とは、鳥取県国府町にある甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま)の三つの山の総称。 この一帯は、奈良から平安・鎌倉の時代にかけて、政治文化の中心地として繁栄し、因幡国府が置かれた場所である。万葉集の編纂者で有名な大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に命ぜられてやってきたことでも知られる。
 万葉集の巻末を結ぶ有名な歌、「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」は、ここ因幡の地で詠まれたものであり、このことから万葉集はこの地で編纂作業を進められたと考えられている。
 国府を中心として東に甑山、西に面影山、南に今木山が位置し、国庁の正殿から因幡三山を望むことができたという。面影山は女性、甑山と今木山は男性の姿に見える。
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因幡国庁跡 Inaba-kokuchoato 

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 因幡国庁は、大化の改新(645年)の後、全国各地に置かれた地方行政庁のひとつ。国の史跡に指定され、因幡国庁跡総面積3万2000平方mのうち、約7000平方mが史跡公園として整備されている。
 この場所からは、1キロ平方m四方におよぶ建物の遺構が発掘されたほか、木簡、硯、瓦片、土師器(はじき)、須恵器など、飛鳥時代の文化・政治を知るための貴重な遺物が出土している。
 因幡国庁と言えば、万葉集の編纂者としても名を馳せた大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に任命され、やってきたことでも有名だ。国庁からは東に甑山、南東に今木山、西に面影山の「因幡三山」が見える。これらの山々を眺めながら万葉集の最後を飾る歌「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」を詠んだ。
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