NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/14


ベンガラ Bengara Bengara

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 ベンガラとは、酸化第二鉄からなる無機赤色顔料の一つであり、人類が使用した歴史上最古の顔料としても知られている。
 漢字では弁柄と書き、紅殻やインド赤、ヴェネツィアンレッドなどとも呼ばれる。
 日本には中国から朝鮮半島を経て、沖縄に伝わったとされ、インドのベンガル地方産のものを輸入していたため、ベンガラと名付けられたという。
 酸化鉄系では最も生産量が多い顔料であるが、化学的には鉄の赤錆と成分的に同じであるため、現在では合成のものが多く、天然に産するものとしては、日本では岡山県高梁市成羽町が、国内唯一の生産地となっている。
 古代には尊い色として珍重され、日本では沖縄の首里城の赤がベンガラの色として有名である。また、着色力や隠蔽力共に優れており、耐熱性や耐水性もあることから、木造建築における防腐の役目も負っていた。
 他の赤色系顔料に比べ鮮明さに欠く印象はあるが、その華やかさは時代を超えて、人々の心を魅了し続けている。
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2007/10/24


格子状防風林 Koushijou-boufuurin Great Green Grid

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 北海道道東の根釧台地(こんせんだいち)にある「格子状防風林」は、そのスケールの大きさにおいて地球規模的で、北海道ならではの雄大なもの。北海道遺産にも登録されている。
 広大な大地にまるで方眼紙のように正方形の格子が描かれている。この正方形の一辺の長さは約3000m、幅は180mで、総延長は648kmにも及ぶ。平成十二年に宇宙飛行士の毛利衛さんがスペースシャトル・エンデバーから撮影した映像に、くっきりと区画された、この格子状防風林の全容が鮮明に映し出されたことからも、その規模の大きさが分かる。
 元々は周囲の酪農家と牧草地を風や雪から守るために造られたが、近年では野生動物の住みかや移動の経路としての機能も果たす。
 近年ではホーストレッキングや林内の動植物ウォッチングのメッカとしても人気だ。
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2007/10/5


足助夏まつり Asuke-natsu-matsuri 

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 毎年八月のお盆に、足助川(あすけがわ)の遊歩道の1400キロの区間に約7000本の蝋燭を灯す夏まつりが開催される。
 この夏まつりは八月四日から一五日まで足助の古い町並み一帯でおこなわれる「たんころりん」と平行して行われる。
 たんころりんとは、油の入れた陶器の碗に芯を浸し火を付け竹篭を被せた、円柱状の行灯である。
 名前の由来は、灯りの影がひょうたんに似ているからとも、油を入れる椀にひょうたんの底を使い、それが不安定でころがることからとも言われている。
 ひょうたんころりんと呼ばれ、それが略されてたんころりんやたんころと呼ばれるようになった。
 この足助の人たちが試行錯誤で作り出したたんころりんが町並みに沿って点々と灯される。蝋燭の灯りで、美しい黒壁、白壁や格子戸を持つ伝統的な日本家屋が濡れたように光り輝く。
 情緒あふれる足助の町並み、川辺の遊歩道、橋の欄干が淡い光で満たされ、川面に揺らめき幻燈的な夜を演出する。また花火大会も開催される。
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2007/8/14


清水寺 子安の塔 Kiyomizu-dera Koyasu-no-tou 

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 世界中から観光客を集める京都清水寺。最も有名な本堂の舞台から、錦雲渓をへだてた正面の丘の上に、子安の塔(こやすのとう)が建っている。子安の塔は江戸時代初期に再建された高さ約15m、桧皮葺きの三重塔で、内部には本尊の千手観音が安置されている。
 聖武天皇・光明皇后がこの観音に安産を祈願し、孝謙天皇が無事に誕生したとの伝説が残ることから、後世、安産祈願の信仰が生まれ、子安観音として崇拝されている。洛陽観音第十四番札所でもある。
 塔は、欄干の柱の頭につけるネギの花の形の装飾で知られる擬宝珠(ぎぼうしゅ)高欄を付した縁をめぐらし、正面は三間とも戸がなく格子張りで、とぐみは珍しく尾垂木を設けていない。明治末年に仁王門下から現在の場所に移された。国指定重要文化財。
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2007/8/1


新城の田植踊 Shinjou-no-taue-odori Taue Odori in Shinjo

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 新城の田植踊は、宮城県気仙沼市の新城地区に古くから伝わる伝統芸能である。
 天保年間(1830~1843)の大凶作の時、平八幡神社に豊作祈願をしたのがその始まりと言い伝えられており、昔は小正月に演じられていた。
 現在は県指定無形民俗文化財にもなっており、各種祭礼時のほか、旧正月には地区の各戸を廻る。
 その踊りは、七人により演じられるもので、弥十郎と呼ばれる役が二人、後の五人はヤッサカと称する踊り手となり、盛り上げる。
 弥十郎は長烏帽子を被り、陣羽織を着て、金輪のついた「しゅろすり」という竹杖を打ち鳴らしながら前口上を述べる。
 ヤッサカたちは、豆絞りの鉢巻を締め、格子縞の長着に豆鈴のついた前回しをつけ、「ヤーンドヤーハイ」のおはやしと共に手太鼓を打ちながら跳ね踊る。
 当時の農民達が絶望の淵から神に捧げた踊りは、あでやかな衣装と共に苦難を明るく乗り越えようという思いを今に伝えている。
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2007/7/20


弘前八幡宮 Hirosaki-hachimanguu 

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 弘前八幡宮(ひろさきはちまんぐう)は、元々、岩木町に建てられていたが、二代藩主弘前信枚が築城の後、陰陽道で鬼が出入するとされている方角「鬼門」をおさえるために移転を行った。
 門は、唐風と呼ばれている屋根のカーブや、四辺の反りなど、屋根の形態が特徴的であるため、唐門と呼ばれている。また、天井は細かい格子の組み合わせで作られており、小組格天井(こぐみこうてんじょう)と呼ばれ、弘前では珍しい造り方となっている。
 本殿は正面が三間社流造(さんげんしゃながれづくり)となっており、屋根の側面の妻が、左右非対称であり、片方の軒が前方に延びており、アシメトリックなデザインとなっている。
 本殿及び唐門は、桃山時代の様式として貴重な資料となっており、重要文化財建造物に指定されている。
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2007/6/14


藤川宿 Fujikawa-syuku Fujikawa-shuku

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 藤川宿(ふじかわしゅく)は、東海道五十三次のうち第三十七之次である、徳川以前の鎌倉時代から続く古い宿場町であった。
 現在の東海道すなわち国道一号線は、名鉄名古屋本線を挟んで町の北側を通っており、旧道である藤川の町は思いのほか静かだ。国道一号から分岐する所には、宿場の入口を示す「棒鼻」が残っている。
 藤川は古い宿場町の保存に積極的で、現在資料館となっている脇本陣跡の門や秋葉山常夜灯、連子格子の町家など、当時を偲ばせる建造物も少なくない。藤川駅の南側に藤川小学校があり、その前に西の棒鼻がある。東の棒鼻からおおよそ1キロメートル程だ。
 そこから少し先に「塩の道」であった吉良街道(きらかいどう)の分岐があり、碑が建っている。左手に分かれるのが吉良街道で当時の松並木が残っており、また右手の東海道にも藤川の松並木があり、国道一号への合流まで続いている。
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2007/6/5


根釧台地の格子状防風林 Kushirodaichi-no-koushijo-boufuurin 

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 根釧台地の格子状防風林(くしろだいちのこうしじょうぼうふうりん)は、北海道標津郡中標津町、別海町、標津町、標茶町に跨る広大な防風林である。
 スペースシャトルからも撮影された程、そのスケールにおいても地球規模的な北海道ならではの雄大なものである。
 日本の防風林は明治初期に始まり、北海道では開拓使顧問ホーレス・ケプロンの提唱で着手、根釧地方でも、大正三(1941)年に帯広営林局がトドマツを植栽したのに始まり、格子状防風林の造林が本格的に着手された。
 幅180m、総延長648kmの林帯は、防風効果だけではなく野生生物のすみかや移動用通路としての機能も果たしている。
 根釧台地の格子状防風林は、開拓時代の植民地区画を示す歴史的意義も持つ防風林である。
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