NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/31


にし茶屋街 Nishi-chayagai Nishi Teahouse Street

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 金沢には、城跡や武家屋敷など、城下町として風情が残るが、それだけではない。艶っぽい茶屋街も、今もその姿をそのままに残している。
 にし茶屋街は、これも金沢の代名詞となる犀川の南側にある。文政三(1820)年、加賀藩によって、ひがし茶屋街とともに創設された。
 今も、料亭や芸子の置屋が軒を並べて粋な風情を残している。夕刻からは三味線の音なども聞こえてきて、さらに趣は深くなる。
 かつては一見さんお断りが主流であったのは、ひがし茶屋街と同じだが、今では旅館やお土産屋、喫茶店などがあり、散策するに楽しい。
 西茶屋資料館は、石川県美川町出身の作家、島田清次郎が幼少期を過ごした場所であり、清次郎に関する資料が展示されている。
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2007/1/22


五十間長屋 Gojikken-nagaya The Gojikken-Nagaya (50 Ken Armory)

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 かつて壮観な姿を誇っていた金沢城の再現のため、平成十三年七月に復元された。
 橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)と菱櫓(ひしやぐら)をつなぐのが、五十軒長屋であり、二階二層の構造を持つ。
 これらの建造物は、かつて、戦の時に二の丸を守護するためのものであった。それ故、壁は海鼠壁や白塗りの漆喰で防火構造になっている。また格子窓は鉄砲狭間になり、石落としの設備もあった。
 長屋自体は、往時は武器などの倉庫として使われていた。
 五十軒長屋は、延べ床面積が一八九四・二五平米あり、明治以降に建立された木造の城郭建造物としては、日本において最大の規模である。その建設には、調査段階を含めて三年と四か月を費やした。
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金沢城 菱櫓 Kanazawajyo Hishiyagura Kanazawa Castle Hishi Turret

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 かつて菱櫓は、金沢城の大手と搦手(からめて)、つまり裏門を見張る櫓であった。
 櫓とは矢の倉ともいわれ、武器倉庫であることが多いが、菱櫓は見張りの役割を担っていた。
 高さ一一.七メートルの石垣の上に建てられた菱櫓。それ自体は三階建てで約十七メートルあり、併せて三〇メートル近い威容となる。
 菱櫓の名前の由来となったのは、建物の平面の形である。
 菱形になっており、四隅の内角は八〇度と一〇〇度。柱はおおよそ一〇〇本あるが、それらも全て菱形になっており、建設には高度な技術を要する。
 この菱櫓と橋爪門続櫓をつなぐのが、五十間長屋である。
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成巽閣 Seisonkaku Seisonkaku Villa

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 文久三(1863)年の建築。兼六園の中にある。当初は巽御殿(たつみごてん)と呼ばた。
 加賀藩十三代藩主前田斉泰が母である隆子(真龍院・十二代斉広夫人)のために建てた隠居所。
 金沢城から東南の方角、つまり巽にあり、また京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれており、それにも習ってこの名前がついた。
 二階建てで、一階は書院造り、二階は数寄屋造りになっている。重要文化財に指定されているが、江戸時代末期の代表的な建築物である。
 建物の内部は、心配りの行き届いた優雅な空間となっている。
 壁は紙貼りとして土を使わず、階下には紅い漆を用いた。さらに雲母や金などを使い文様が描かれている
 全体的に、色彩豊かな装飾は、成巽閣の大きな特徴である。
 また、成巽閣の庭である飛鶴庭も、国の名勝と指定されている。現在は、歴史博物館となっている。
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2007/1/19


三十間長屋 Sanjikken-nagaya The Sanjikken-Nagaya (30-Ken Warehouse)

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 金沢城に残る蔵の跡。本丸跡の付近にある。長さ三六・五間、幅三間の二階建ての土蔵。元々は軍備のための蔵。干米などの貯蔵のために使われたといわれているが、後には鉄砲倉とも呼ばれたという。
 南面入母屋造りで鉛瓦葺きの屋根を持ち、白壁の腰には海鼠瓦で装飾が施されている。二階の腰には、鉛瓦葺きの庇がある。
 金沢城には、現存する三十間長屋を含め、全部で十四の長屋があったといわれており、往時は壮観であったことが想像できる。
 現存する三十間長屋は、安政五年(1858年)に再建されたものであり、現存する金沢城の遺構は、石川門とこれのみである。
 昭和三十二年に重要文化財に指定されている。
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2007/1/18


武家屋敷跡土塀 Buke-yashikiato-dobei Earthen Walls of Samurai Houses

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 藩政時代、加賀は百万石の城下町。今の長町あたりには中・下級の武士が住んだ屋敷が残っている。
 土塀、用水、石畳が当時の様子を偲ばせる。特に武家屋敷跡の土塀は、金沢城の石垣に用いられた戸室石を使用、武家屋敷跡の印象を情緒溢れるものにしている。
 現在もその屋敷には、実際に人が住み生活を営んでいる。それがまた、残る武家屋敷の雰囲気をリアルにしている。
 武家屋敷跡界隈は、石畳の小道も複雑に入り組み、かつての城下町そのままであり、そぞろ歩けば、まるで江戸時代に生きているような錯覚に陥る。
 屋敷を公開している野村家、加賀友禅の製作を実演する才筆庵などがあり、また休憩館にはボランティアガイドが常駐し、武家屋敷などの説明をしてくれる。近代的な繁華街の香林坊のすぐ側とは思えない、下町情緒に溢れる場所である。
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ひがし茶屋街 Higashi-chayagai Higashi Teahouse Street

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 金沢の浅野山麓を流れる浅野川別名女川の岸、石畳の道を挟むように紅殻格子のお茶屋が軒を連ねる。それがひがし茶屋街だ。
 文政三(1820)年、加賀藩によって作られた茶屋街である。このとき、にし茶屋街も作られ、明治二(1869)年には主計町茶屋も開かれたが、ひがし茶屋街が最も格式が高く、規模も大きかった。
 かつてこの茶屋街では、日が暮れると旦那衆が、酒をたしなみながら芸事を楽しんだ。一見さんお断りが主流だったが、今では茶屋を改装した喫茶店なども多く、気軽に立ち寄れる。それでも日が暮れると軒下灯に明かりが入り、三味線や太鼓の音が聞こえてくる。茶屋街が艶っぽい表情を見せる時間である。
 五木寛之の「朱雀の墓」の舞台ともなった。平成十三(2001)年に国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
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