真田庵 Sanada-an
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真田庵は、戦国武将・真田昌幸、幸村父子が隠れ住んだ屋敷跡で、和歌山県の史跡に指定されている。現和歌山県伊都郡九度山町に所在する。正式名称は善名称院。
真田昌幸は、信濃国(現長野県)上田城主であったが、武田氏が滅亡してからは徳川家に属する。しかし、家康と対立し、慶長五(1600)年関が原の戦いで敗れてからは、高野山に入り、その冬九度山(現和歌山県九度山町)のここ善名称院に閑居した。後にこの寺は「真田庵」と称されるようになる。
慶長十九(1614)年の大阪冬の陣まで、真田父子はここで晴耕雨読にふけり、密かに諸国の情報を集め、武術の鍛錬をするなどして14年の歳月を隠棲して過ごした。
現在、境内には真田昌幸の墓、真田宝物資料館などがある。毎年5月5日には真田祭が催される。真田ファンなら一度は見ておきたい史跡である。
真田昌幸は、信濃国(現長野県)上田城主であったが、武田氏が滅亡してからは徳川家に属する。しかし、家康と対立し、慶長五(1600)年関が原の戦いで敗れてからは、高野山に入り、その冬九度山(現和歌山県九度山町)のここ善名称院に閑居した。後にこの寺は「真田庵」と称されるようになる。
慶長十九(1614)年の大阪冬の陣まで、真田父子はここで晴耕雨読にふけり、密かに諸国の情報を集め、武術の鍛錬をするなどして14年の歳月を隠棲して過ごした。
現在、境内には真田昌幸の墓、真田宝物資料館などがある。毎年5月5日には真田祭が催される。真田ファンなら一度は見ておきたい史跡である。
- 住所
- 648-0100 和歌山県伊都郡九度山町
- 名前
- 真田庵(別名 善名称院)