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2008/9/25


堺打刃物 Sakai-Uchihamono 

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 大阪府の堺市に伝わる「堺打(さかいうち)刃物」は、全国的に有名な刃物である。人類の祖先が一番最初に使った道具が刃物だといわれているが、この地では弥生時代中期、既に集落が営まれ、石包丁が使われていた。
 天文一二(1543)年、ポルトガル人により鉄砲やたばこが伝来し、戦国時代には堺は鉄砲の産地として重要な役割を果たした。その後たばこの葉を刻む「たばこ包丁」が堺で作られるようになり、徳川幕府は堺に品質証明の印である「極印」を附して専売を許可し、堺刃物の名は全国各地へと広がった。江戸時代中期には、出刃包丁が出現し、その後刺身包丁、薄刃包丁などが作られるようになった。
 包丁と並んで和鋏(わばさみ)の生産でもよく知られる。髪結い、植木屋、生け花、呉服など、江戸時代には鋏は暮らしの中になくてはならないものだった。中でも、生け花用の鋏は、堺で最初につくられたと言われている。堺の和鋏は、最初から最後までひとりの手で作られ、細部にまで神経が行き届いている。
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2006/12/17


大阪泉州桐箪笥 Osaka-sensyuu-kiri-dansu Senshu Paulowina Chests

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 箪笥の起源は古く、史的資料内容によれば、約三百年程前に大坂ではすでに、製造が始っていたとされている。
 当時は近所で採れるキハダやキリの木を使い、箱等の簡単な指物作りであった。江戸時代後期から明治時代にかけて一大産地が形成され、大坂では堺を中心に和泉に広がったとされている。
大坂泉州桐箪笥の特徴は、キリの柾目(まさめ)を活かし、木釘と各種組み接ぎ(くみつぎ)技法を用いた組立である。
 材料となる桐は、1年から2年かけて十分に自然乾燥させる。これは「アク」が出るのを防ぐためである。桐材は20mm以上の厚い無垢板(むくいた)。前面に、年輪の木目が真っ直ぐ通った桐の柾目板を揃える。、磨きにあたる「矧(は)ぎ加工」を施すことで、一段と見栄えがする。
 耐久性にも優れ、湿気などに注意して使えば100年から150年は使用可能。ほとんどが注文生産である。
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南宗寺 Nanshuji Nanshuji Temple

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 1526年に京都は大徳寺の南宗寺派住職古岳宗亘(こがくそうこう)が堺の一小院を南宗庵と改称したのが始まりと言われる。
その後、1557年三好長慶が父、元長の菩提をとむらうため南宗寺と改め建立。
しかし2度の焼失を受けたあと、住職沢庵宗彭によって再建され現在に至る。
茶道はこの寺から始ったとといわれる。武野紹鴎(たけのじょうおう)や千利休が修行した寺でもある。その面影を残すように、千家一門の墓がある。
また国の名勝庭園に指定されている枯山水庭園が有名である。禅様式仏殿は山門、唐門とともに、国の重要文化財に指定されており、本尊釈迦三尊像が祀られている。
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2006/12/15


堺刃物 Sakaihamono Sakai Forged Blades

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 全国の料理人が使う包丁のシェア9割を誇る大阪堺の刃物。究極の切れ味と伝統の技が多くのプロに支持を得ている。
 その歴史は600年の昔に遡る。16世紀の中頃、ポルトガル人によって鉄砲、たばこが伝来した。16世紀の後半には、たばこの葉を刻む「たばこ包丁」が堺で知られるようになったという。徳川幕府は、堺に「極印」という品質証明の印を与え、専売を許可したために、堺刃物の切れ味と名声は全国に広がることとなった。
 堺刃物の特長は、優れた「鍛冶」技術と「刃付け」技術にある。鍛冶と刃付けの結晶である「切れ味」、これこそが堺の刃物の特色であり、他の各産地の追随を許さない。
 鍛え抜かれた技から生まれる刃先の切れ味は、600年の伝統と匠のプライドの証である。
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