NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/13


常栄寺雪舟庭 Jouei-ji-sesshuu-tei 

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 雪舟庭(せっしゅうてい)は、山口県山口市宮ノ下の常栄寺(じょうえいじ)にある枯山水庭園である。 
 守護大名の大内政弘(おおうちまさひろ)が、室町時代中頃に画聖雪舟に命じて築庭したという伝説があるが、文献などにこれに関する記述は見当たらない。
 もともとは政弘の別荘だったが、母の菩提を弔うため妙貴寺という寺とした。さらに毛利隆元(もうりたかもと)の菩提寺となった際に、常栄寺と改称した。
 背景は山林、北は枯滝、中央が無染池。周囲は立石を配し、破墨山水を立体化している。
 室町時代の枯山水石庭の特徴を如実に表しており、簡素でありながら趣のある佇まいを見せている。
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2008/7/28


無鄰菴 Murinan 

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 京都市左京区の一角にあり、風光明媚な庭を持つ別荘。それが無鄰菴(むりんあん)である。
 明治、大正期の元老であり、内閣総理大臣も勤めた山縣有朋(やまがたありとも)が所有していた。
 有朋自らが、海外の庭園なども参考にして設計、監督し、当時の造園家の手により作庭された和洋折衷の庭が有名である。
 明治二九(1896)年に完成した庭は、京都東山を借景として池や芝生を配した池泉遊式になっており、琵琶湖疏流が引き入れられて、流れる水音がどこからでも聞こえるようになっている。
 醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝もあり、ツツジやカキツバタの色付きなど、四季折々の風情を楽しむことができる。
 それまでの山水画のような作庭とは違い、どこか牧歌的な雰囲気を併せ持った庭でもある。
 この庭を眺めながら、明治三六(1903)年、有朋と伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の四者によっていわゆる「無鄰菴会議」が開かれ、日本の一時代を築いた場所としても知られている。
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2008/5/2


寝殿造 Shinden-zukuri 

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 寝殿造(しんでんづくり)は、平安時代における代表的な貴族の住宅建築様式である。
 南向きに建てられた高床式の寝殿を中心として南には庭を敷き、寝殿の左右背後に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物が、渡殿(わたりどの)でつながれ、上空から見ると「コ」の字型の建物群が形成されているのが特徴である。
 また、庭には池や築山などが造園され、対屋から更に南に張り出した泉殿(いずみどの)や釣殿(つりどの)が池にかかるように造られた。
 建物内部はあまり仕切られておらず、屏風や簾などで用途に応じて間仕切りしていたとされる。
 万事に広く造られていて、大きな敷地を要するのもこの造りの特徴である。あまり位の高くない貴族であっても一町(120m)四方を標準として、一千坪以上の敷地に建てられていた。
 鎌倉時代に入ってから寝殿造を簡略化した「武家造」や、それを経て造られるようになった「書院造」に至るまで、日本における家屋の代表的な建築様式として今に伝えられている。
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2007/12/25


小泉八雲旧居 Koizumiyakumo-Kyuukyo Lafcadio Hearn’s Old Residence

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 「耳なし芳一」や「雪女」の作者として有名な小泉八雲が、松江の侍の娘セツと結婚し、明治二四(1891)年の五月から一一月までの半年間の新婚生活を過ごした家を、「小泉八雲旧居(こいずみやくもきゅうきょ)」または「ヘルン旧居」として今も姿を変えることなく保存されている。
 ヘルンというのは八雲が日本に帰化する前の名前、ラフカディオ・ハーンの姓ハーンをローマ字読みにしたもので、八雲がとても気に入って定着させた名前だという。
 旧居の建物は、享保年間(1716~1735)に松江藩士の屋敷として建てられたもので、八雲が武家屋敷に住むことを熱望して当時空家だったこの建物を借りたと伝えられている。
 この家の中央にある、三方に庭が見える部屋を特に好み、この部屋からの庭の眺めを楽しんでいたとされ、著書「知られぬ日本の面影」にも登場するという。
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2007/11/14


越前大野 旧内山家 Echizen-oono Kyuu-Uchiyama-ke 

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 越前大野の旧内山家(きゅううちやまけ)は、福井県大野市城町にある建築物である。
 幕末に大野藩の藩政改革に尽力した家老・内山七郎右衛門良休(うちやましちろううえもんりょうきゅう)は、藩営の商店を開業したり、銅山経営で手腕を発揮して多額の借金に苦しんでいた藩財政を立て直した人物である。
 旧内山家は、良休と弟の隆佐良隆の屋敷を復元したもので、母屋は明治一五(1882)年ごろ建築された梁間4間、桁行7間の平入り2階建てとなっており、屋根は現在は瓦葺だが、元は板葺であったとされる。
 天井の空間を広く使うための2階の舟底天井や、井戸のある台所などが設けられた造りが興味深く、他に数奇屋風書院の離れや衣装蔵、米蔵、味噌蔵と広い庭が存在する。
 越前大野の旧内山家は、当時の武士の暮らしが伺える、貴重な武家屋敷である。
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2007/1/28


こけ庭 Koke-niwa Moss Garden

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 日本の庭は、概ね自然を取り込み、自然と融合した形で世界観を作っていく。分類上いくつかの種類があるが、地面の大部分がこけに覆われた庭を、こけ庭と称される。京都の西芳寺の庭が有名で、そのために西芳寺は別名、こけ寺と呼ばれる。
 こけ庭に利用されるこけは、主にスギゴケ類、ハイゴケ、ヒノキゴケ、ホソバシラガゴケ、コツボゴケなどである。
 こけは水分吸収を土からではなく空中に散布している水分から行っている。そのため、日陰で湿度が高いところを好む。必然としてこけ庭も、湿気の多い日陰となる。それがさらにその庭の侘び・寂びを強調することになる。
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