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2008/4/14


からくり人形 Karakuri-ningyou Karakuri Doll

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 からくり人形(からくりにんぎょう)とは、伝統的な機械仕掛けの人形の事である。
 からくりは10世紀頃の中国に見られ、日本に渡ってきたのは室町時代の事といわれている。
 江戸時代に入ってからは、時計などに使われていた歯車などの技術を人形の動作装置として応用し、からくり人形が作られ始めた。
 当初は上流階級の玩具であったが、次第に見世物として人気を呼ぶようになり日本各地に普及した。
 寛文二(1662)年には竹田近江がからくり芝居の興行をしており、享保年間(1716~1735)にはからくり門弥がからくりを駆使した乗り物を作っている。
 幕末には「からくり儀右衛門」こと田中久重が、江戸からくりの最高傑作と言われている「弓曳き童子」を製作した。
 からくり人形は、現代の人型ロボットの原点とも言える、日本の伝統的な精密機械である。
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2007/10/4


田名部まつり Tanabe-matsuri Tanabu Festival

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 下北地方最大の夏祭りが「田名部(たなぶ)まつり」である。江戸時代に下北の総鎮守だった田名部神社の例大祭で、青森県の無形民族文化財に指定されている。
 祭りの起源は定かでないが、寛政五(1793)年の菅江真澄(すがえますみ)の紀行文に、すでにこの祭が記されていることから、それ以前に始まったと推測されている。かつては陰暦七月一八~二〇日に行われていたが、明治三(1870)年より現在の八月一八~二〇日となった。
 田名部五町から「ヤマ」と呼ばれる木製黒漆塗りの山車が繰り出し、むつ市内を練り歩く。ヤマは二階建てで、下の階には乗子(のりこ)と呼ばれる囃子方が乗り、上の階には御神体を乗せて運行する。京都祇園祭の流れを汲むとされる山車は絢爛豪華そのもの。
 祭りは最終日の深夜、「五車別れ」でクライマックスを迎える。五台の山車は田名部神社を後にし、目抜き通りの本町十字路に勢ぞろいする。お囃子が鳴り響く中、山車を引く若衆や見物客にたる酒が振る舞われ、来年の再会を約束してそれぞれの町内へ帰る。
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2007/7/30


是川遺跡 Korekawa-iseki 

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 是川遺跡(これかわいせき)とは、青森県八戸市是川にある中居遺跡、一王寺遺跡、堀田遺跡の三つの縄文時代の遺跡の総称である。昭和三二(1957)年、国の史跡に指定される。
 大正から昭和の初めごろに掛けて、八戸市の泉山岩次郎・斐次郎兄弟によって発掘が行われ、東京ドーム五個分とも言われる、約24万5千平方メートルほどもある広さの遺跡は、その出土品によって全国から注目を集めた。
 亀ヶ岡遺跡と並ぶ縄文時代晩期の代表的遺跡で、出土した土器、石器、籃胎漆器、木製品は4千点にも及び、うち633点が国の重要文化財として八戸市縄文学習館に収蔵・展示されており、縄文の里として整備されている。
 是川遺跡は「縄文の美」とも言える、洗練された形と優れた文様を持つ土器や木製品などが数多く出土している遺跡である。
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2007/2/6


龍口寺 Ryuukou-ji 

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 龍口寺は、神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の寺である。日蓮宗霊跡本山で、本尊は日蓮聖人像。
 龍ノ口法難と言われる事件がある。文永八(1271)年、捕らえられた日蓮上人は、9月12日に処刑される事となっていた。
 当日、首切りの座に据えられた時、にわかに雷鳴が轟き、刑吏が振り上げた刀が感電して折れてしまった。そこへ北条時宗の使者がきて、処刑は中止、佐渡への流罪になったのである。
 以来、この地は日蓮法難の霊蹟と言われ、日法はこの霊蹟を保護する為にここに草庵を結んだ。延元二(1337)年、自ら刻んだ日蓮像を安置し、寺を創建した。延文二(1357)年には、豪壮な伽藍の大寺を建立した。
 龍口寺は、県内最古の唯一木造の五重の塔や仏舎利塔、宝物館など、見所の多い場所である。
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2007/1/25


城東の町並み Joto-no-machinami The Old Joto Area

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 旧出雲街道が通る岡山県の津山盆地は、城下町として古くから栄え、その町の東に宿場町があった。今は、「城東地区」と呼ばれ、酒造元、紙商、鎌商など格子造りの古い商家が軒を連ね、県の町並み保存地区に指定されている。
 津山城跡から旧出雲街道に沿って続く約1キロメートルの道が、保存の対象。出雲街道が城防備のために作った鍵曲り(かいまがり)と呼ばれる一種の迷路で屈折しながら東西に通る。低い軒先、格子戸、なまこ壁などといった昔ながらのたたずまいを見せている。
 見どころは、伝統的な建築法で再現された火の見やぐらや、町家「作州城東東屋敷」、江戸期から大正期までの建物が美しく調和した「城東むかし町家旧梶村家」など。
 映画「男はつらいよ」やドラマ「あぐり」のロケ地としても有名だ。
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備中国分寺 Bicchu-kokubun-ji Bicchu Kokubunji Temple

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 国指定史跡、「備中国分寺」。岡山県総社市に所在する。
 備中国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願により創建された官寺。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建された。現存する伽藍はすべて再建後に建てられたものである。
 境内にそびえる五重の塔は、岡山県唯一のもので、吉備路の代表的な景観となっている。国の重要文化財にも指定されているという。この塔は江戸時代後期の文政四(1821)年から20数年をかけて建立された。その重厚美を帯びた存在感は、かつて吉備の国の中心として栄えたこの地の繁栄ぶりを映しているかのようだ。
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矢掛本陣 Yakage-honjin Yakage Honjin

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 「本陣」とは、江戸時代、街道の宿駅で、参勤交代をする大名・公家・幕府役人などが宿泊した公的な旅宿のこと。
 矢掛(やかげ)は小田川に沿って開けた町で、古代から都への大路が通り、江戸時代には山陽道第18番目の宿場町として栄えた。全国の本陣・脇本陣の中で全国唯一、本陣(石井家)と脇陣(高草家)が対で国の重要文化財に指定され、旧姿をとどめている。
 現存する本陣の屋敷地は間口約36メートル、奥行き約90メートル、面積約3200平方メートル。十数棟の建物が建っており、それらは江戸時代の姿をほとんど変えることなく今に至っているという。本陣を擁する町並みは妻入り、平入り造りの町家が並び、白壁、鬼瓦、なまこ壁などが昔の面影を残す。矢掛町では毎年11月には大名行列の行事が行われ、江戸情緒を存分に楽しめるとか。
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栄山寺 Eisan-ji Eisanji Temple

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 奈良県を流れる吉野川を眼下に臨む栄山寺(えいさんじ)。天平の栄華を今に残す古刹である。
 奈良時代の養老三(719)年、藤原不比等の長子、武智麻呂(むちまろ)が創建したと言われる。創建時代は前山寺(さきやまでら)と称していたが、藤原氏の菩提寺のひとつとして発展し、栄山寺に改名された。
 見どころはなんといっても国宝にも指定されている「八角堂」。天平時代の円堂としては、法隆寺夢殿と並ぶ貴重な遺構だ。武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が建立したという。八角円堂内の薬師如来坐像は重要文化財に指定。また、宇治平等院の鐘とともに「天下の三名鐘」のひとつに数えられている梵鐘(国宝)には、小野道風(おののとうふう)筆とされる銘文が残る。
 4月下旬から5月上旬には境内にツツジや山吹が咲き乱れ、景色に彩りを添える。
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