|
日本における最後の旧式城郭。別名は福山城(ふくやまじょう)安政元年(1854)年完成。
軍学者・市川一学(いちかわ・いちがく)の設計で、本丸・二の丸・三の丸からなり、本丸東南隅には三層の天守が築かれた。
三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、城外にも9砲台25門の大砲が配備されていることから、海からの攻撃への備えを重視していたことがわかる。
築城後わずか13年で炎上し、それとともに松前藩も実質的に滅んだ。
昭和三十五(1960)年に外観が復元され、現在天守の内部は、「松前城資料館」となっており、ここには松前藩の御用船だった長者丸の展示品や「桜下美人図」など蠣崎波響の絵画、鎧(よろい)や衣服など藩政時代のさまざまな資料が展示されている。
軍学者・市川一学(いちかわ・いちがく)の設計で、本丸・二の丸・三の丸からなり、本丸東南隅には三層の天守が築かれた。
三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、城外にも9砲台25門の大砲が配備されていることから、海からの攻撃への備えを重視していたことがわかる。
築城後わずか13年で炎上し、それとともに松前藩も実質的に滅んだ。
昭和三十五(1960)年に外観が復元され、現在天守の内部は、「松前城資料館」となっており、ここには松前藩の御用船だった長者丸の展示品や「桜下美人図」など蠣崎波響の絵画、鎧(よろい)や衣服など藩政時代のさまざまな資料が展示されている。
[+ADDRESS] |