NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


おばけの金太 Obake-no-kinta Obake no Kinta

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 「おばけの金太(きんた)」は、熊本県熊本市に伝わる郷土玩具である。
 からくり人形の頭だけの張り子玩具で、頭の後ろにある紐を引くと、どんぐり目玉がひっくり返って「あかんべぇ」と舌を出すのが大きな特徴である。頭の中に竹ばねが入っていて、紐を引くと舌と目が一緒に動くようになっている。真っ赤な顔に黒い烏帽子をかぶった姿は強烈な印象があり、子どもには怖がられているが、大人には人気のある玩具で知られている。
 加藤清正が熊本城を築城したとき、顔だちが面白く、人を笑わせることが上手な「おどけの金太」と呼ばれていた足軽の金太という人気者がいた。嘉永年間(1848~1853)、金太の伝説をもとに人形師である西陣屋彦七(にしじんやひこしち)がからくり人形を作りだしたのがはじまりといわれ、その後「おばけの金太」を別名「目くり出し人形」と呼ぶようにもなった。
 このからくり人形は、仕掛けとなる竹ばね作りが出来上がりを左右するといわれている。
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2007/11/16


御物頭御番所 Omonogashira-gobansho 

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 御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)は、秋田県秋田市の保田城跡にある千秋公園に建つ史跡である。
 宝暦八(1758)年から安永七(1778)年の間に建築されたと推定される、秋田20万石佐竹氏の居城・久保田城内に唯一現存する藩政時代の役所建物とされている。
 御物頭御番所は、「物頭」と言われた足軽の組頭が長坂門の開閉や登城者の監視をし、城下町一帯の警備や火災の消火等を行っていた場所である。
 二の丸から長坂を登った表門の手前にある建物で、木造2階建て、内部には14畳の番所、7畳の休息室、台所、便所、2階には8畳の部屋があり、屋根は切妻藁葺きで正面南側に庇が付いている。
 御物頭御番所は、往時の姿を今に伝える建築物である。
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2007/7/27


埋木細工 Umoregi-zaiku Umoregi-zaiku (Bogwood Carvings)

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 埋木細工(うもれぎざいく)は、宮城県仙台市の青葉山に今も伝わる伝統工芸である。
 その青葉山から炭化した「埋木」が発見されたのは、文政五(1822)年のこと。仙台藩の足軽武士・山下周吉が発見し、様々な工夫を行い、器や神饌の下敷きに使用される掻敷(かいしき)を作ったのがその始まりといわれている。
 埋木とは、三百万年~五百万年前の地層から採掘された、針葉樹の炭化した珪化木(けいかぼく)という、いわゆる植物の化石であり、石炭になる一歩手前の状態のものである。
 全国的にも類を見ない特異な工芸資材であり、今では入手も困難なものもある。
 木などを刃物で刳る刳物(くりもの)技法が用いられ、拭漆(ふきうるし)にて艶出を行う。7~8回繰り返し拭きあげると、木とは思えないような深い光沢と重量感あふれる作品が誕生する。
 伊達藩下級武士たちの内職として彼らの懐を暖めた技術は、数百年の時を経て芸術の域にまで到達し、今も私達の目を楽しませてくれる。
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2007/6/11


四日市宿 Yokkaichi-juku Yokkaichi-juku

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 四日市宿(よっかいちじゅく)は三重県四日市にある、東海道五十三次の四三番目の宿場である。
 江戸以前から海陸交通での利用が多く、多くの人が集まったため商業が盛んで、毎月四日に定期的に市が行われるため「四日市」の名がついたとされる。
 また、伊勢神宮への参堂である伊勢街道への分岐点でもあり、伊勢まで海上十里で船で渡れる便もあった。
 永餅が有名で、藤堂高虎が「武運ながき餅を食うは幸先よし」と、足軽の頃に言ったとされている。
 現在、四日市市日永には、近辺で東海道で唯一残った松が生えており、当時の面影を知ることができる。
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2007/1/23


屋台 Yatai Yatai: Streetside Stalls in Fukuoka

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 福岡市の天神、中洲の那珂川沿い、そして長浜には、夜になると200ほどの屋台が軒を連ねる。
 屋台は、政治的に安定した江戸中期に登場した。経済の発達とともに人々が外食になじみ始め、大都市で、すし店などが店先に屋根付きの台を置き、通行人に売ったのが屋台のはしりである。
 その後、人の集まる場所へ自由に動ける方が便利と、台に車を付けて引くようになった。客は商人や職人、足軽に浪人などで、現在のファーストフード店のように気軽に食事できる場所であった。
福岡の屋台のメニューは豊富で、ラーメンの他おでん、焼き鳥、鉄板焼き、天ぷらといったメニューを掲げる店が多い。
 東京では屋台と言えば、路地裏で細々とやっている寂しい稼業という印象だが、福岡の屋台街では様々な屋台がひしめき合い、食文化の花形と言える存在である。
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