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2007/8/16


天麟院 Tenrin-in 

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 天麟院(てんりんいん)は、仙台藩祖・伊達政宗公の正室、愛姫(めごひめ)との間に生まれた一人娘である五郎八姫(いろはひめ)の菩提を弔った寺であり、日本三景の一つ、宮城県の松島にある。
 同じく松島にある陽徳院や円通院と並んで、松島の三霊廟に数えられている。
 五郎八姫は、徳川家康の六男であった松平忠輝のもとへ政略結婚という形で嫁いただものの、忠輝が家康に反発、大阪夏の陣への参戦を行わなかった事で高田七五万石を召し上げられ、離縁。仙台に戻った姫は仏門に入ることとなり、その落飾後の号が天麟院である。
 政宗公は姫を心配し、仏門に入った後も生活を支援し続け、二代藩主・忠宗にも「姫をくれぐれも頼む」といった遺言を残している。
 一説には姫はキリシタンだったといわれ、離婚を認めない教義のため、愛姫からの再婚の話にも一切耳を傾けなかったのだという。
 そんな五郎八姫の墓所は、忠輝の没した信州諏訪の方を向いているといわれる。二人の死後から三百有余年。誰にも邪魔されることなく、見つめ合っている。
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2007/7/27


圓通院 霊屋 Entsuu-in Otama-ya Otamaya at Entsuin Temple

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 圓通院(えんつういん)は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。本尊は、聖観世音菩薩座像。三陸三十三観音霊場第1番札所とされる。
 バラ寺やこけ寺とも言われ、日本三景松島に建つ名刹である。
 正保四(1647)年、圓通院に伊達光宗の霊廟として、三慧殿(さんけいでん)が建立された。
 霊屋(おたまや)とは三慧殿の別名で、国の重要文化財に指定されている。
 建物は宝形造、本瓦葺で、四周に高欄付の縁を巡らす。東北地方では数少ない格式ある方三間霊屋の遺構であり、霊屋建築としては宮城県下最古とされる。
 内部に光宗の騎乗像を祀る禅宗様の厨子があるが、厨子の各所に施された彩色模様は華麗であり、中には一部キリシタン文化の影響を残す洋風の模様も見られ珍しい。
 圓通院の霊屋は、3世紀半もの間秘蔵とされた文化財である。
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2007/3/5


原城跡 Harajyou-seki 

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 有明海の岬を利用したこの城は、日野江城の支城として明応5 (1496) 年に築かれた。
 キリシタン大名有馬晴信の頃は日暮し城と讃えら、日が暮れるまで見ても飽きないほど美しかったが、有馬氏が日向へ移されると廃城となり、松倉重政は島原に城を築いた。 
 徳川幕府治政下では最大の反乱だった島原の乱、寛永14(1637)年の一揆軍が城にたてこもり、3万7千人は悲惨な最期を遂げた。
 現在は公園になっている。島原の乱で殉教したキリシタンたちの追悼の意を込められているかのような大きな白い十字架や、200年以上経過している天草四郎の墓石や天草四郎像など、天草四郎に関するものが残っている。
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堂崎天主堂 Douzaki-tensyu-dou 

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 明治41年に献堂された浜辺の天主堂で、昭和49年、長崎県の指定有形文化財に指定された。
 この地は、島内各地に小教区制度が整うまで、五島キリシタン復活の拠点として、まさに五島における小ヴァチカン的な重責を果たしてきた。堂崎天主堂は長く厳しい弾圧を絶え抜いた五島キリシタン受難と勝利のシンボルである。
 昭和43年、浦頭にカトリック教会ができたことに伴い巡回教会となった。現在は月に1度、第1日曜日の朝5時半からミサが行われている。早朝のミサは、漁業に従事する信者が漁に出る前に礼拝を済ませる習慣からだという。普段はキリシタン資料館として公開されている。
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2007/2/5


応暦寺 仁王像 Orekiji Niozou 

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 平安時代に創建された六郷満山中山本寺十ヵ寺の一つ応暦寺は、仁聞菩薩の開基と云われる古刹。
 江戸時代初期には廃寺寸前までに衰退したが、両子寺で修行した澄慶という僧の手によって、現在の地に再興された。
 山門と境内に二対の仁王像がある。山門の仁王像は躍動感に溢れた雰囲気のものだが、観音堂の前に立つ仁王像は少し阿形像が崩れているものの、どちらもお腹が出ていてユーモラスな雰囲気がある。
 本堂には、県の有形文化財に指定されている榧(かや)の一木彫りで刻まれた平安時代の不動明王を始め、千手観音、阿弥陀如来などの仏像が並ぶ。境内にも数多くの文化財がある。江戸時代にあった厳しいキリスト教禁教下にあって、密かに信仰を守り続けた隠れキリシタンの遺物と伝わる五輪塔など、神仏習合の歴史がうかがえる。
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2007/1/29


常忠寺 Jouchu-ji Jochu-ji Temple

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 戦国時代に豊後、豊前、筑後、筑前、肥後、肥前の九州六ヶ国を支配した豊後のキリシタン大名、大友宗麟の先祖、大友家初代能直の墓所。
 落雷に打たれて半身不随になっても輿に乗り指揮を取り、宗麟の家中第一の武将とされた鎧岳(よろいだけ)城主、戸次鑑連 ( べっきあきつら)の菩提寺。
 一時廃絶していたが宝永年間(1704〜1710)に本田善輝が再興、その後火災で炎上したが文化三(1806)年善輝の曽孫により修復し、存続される。
 40種もの花菖蒲が植えられ、毎年5月には「常忠寺しょうぶ祭り」が行なわれる。夏の夜には蛍の観賞も出来る。
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2007/1/24


近水園 Omizuen Omizuen

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 近水園(おみずえん)は、旧足守藩主木下家の庭園。旧藩邸の背後に続く宮路山の麓に造られた、池を中心とした池泉回遊式の築庭方式を取っている。
 造営時期は定かではないが、6代藩主木下キン定の18世紀初めと推定されており、県下では岡山市の後楽園、津山市の衆楽園と並ぶ大庭園だ。
 池のほとりには、池に乗り出すように数奇屋造りの「吟風閣(ぎんぷうかく)」が建てられている。ここから見渡す庭の眺めは宇野山を借景とした眺望が開け、格別美しいという。吟風閣は、京都御所を築く際の残材で建てられたもので、当時は茅葺の切妻屋根だったが現在は銅板葺きになっている。
 ほかに、この地ゆかりの歌人、木下利玄の歌碑や隠れキリシタンのマリア灯篭も見ることができる。
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2006/12/18


大浦天主堂(国宝) Ooura-tensyu-dou Ooura Cathedral, National Treasure

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 大浦天主堂は、教会として日本で唯一国宝建築物に指定されており、現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会である。正式名称は「日本26聖人殉教者天主堂」と呼ばれ、豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって捕縛され1597年長崎の西坂の丘で日本人20名、外国人6名の聖人が処刑された。後に1862年ピオ9世教皇により彼ら聖人の尊称を献上されて、カトリック全教会信者の尊崇をうけることになった聖殉教者達に捧げる為に、フランス人司祭ベルナール・プチジャン神父により建立された。建築当初は三本の塔を持つゴシック風のつくりながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はナマコ壁という特殊なスタイルであった。1879年に増築され、外壁をレンガ造にあらため、完全にゴシック風の建物になった。
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