NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/8


都萬神社 tsuma-jinjya 

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 都萬(つま)神社は、宮崎県西都市妻にある神社である。祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。
 承和四(837)年には続日本後記に登場するため、建立はそれ以前であるといわれる。
 境内にある拝殿内には、日本一大きいといわれる巨大太刀が安置されている。
 国指定天然記念物に登録されているのは、樹齢1200年といわれる大クスの木で、高さ40メートル、幹周り16.4メートルもある。
 また「日本酒発祥の碑」がある。祭神である姫は、乳児にお乳の代わりに「甘酒」を飲ませたといい、そのいわれの碑である。姫が三つ子を出産したことにちなみ、縁結び、安産子宝、漁業航海安全などのご利益があると云われている。
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都於郡城跡 Tonokoori-jyou-ato 

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 都於郡(とのこおり)城跡は、宮崎県西都市荒武にある城跡である。国の指定史跡に登録されている。
 建武二(1335)年、伊豆から下向した伊東祐持(すけもち)が足利尊氏からこの地を拝領し城を築いた。標高100メートルの高台にあり、三財川が外堀の役目を果たした。遠くからの眺望が、海原に舟が浮いているように見えていたことから別名「浮舟城」と呼ばれていた。しかし、天正五(1577)年、伊東氏は島津氏と木崎原の戦いで敗れ、落城となった。
 現在、城は原形をとどめておらず、空堀、土塁などが僅かに残るのみである。平成一三(2001)年から遺構確認調査が行われており、二の丸の一部から多くの柱穴や虎口の関連施設の遺構が見つかっている。
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狗留孫峡 kuruson-kyou 

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 狗留孫(くるそん)峡は宮崎県えびの市大河平にある峡谷。えびの市内を流れる川内川に沿った秘境のような「クルソン林道」を車で10キロほどの上流一帯である。
 「狗留孫」とは、お釈迦様になる以前の仏陀の名前が由来といわれる。山伏もこの渓谷で修行したという。
 川に沿って樹木が生い茂った100メートルほどの断崖が続く。所々に見られる巨石は溶結擬灰岩である。川には清流に生息すると言われるオオサンショウウオ(天然記念物)やヤマメが確認されている。
 峡谷上流には、キャンプ場があり、家族連れや釣り客が訪れる。秋になると、紅葉が峡谷一面に色づく。
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2008/10/3


飫肥 武家屋敷通り Obi bukeyashiki-tori 

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 宮崎県日南市飫肥(おび)にある石垣や歴史的建造物がならぶ武家屋敷通り。城下町であった飫肥は伊東藩5万1千石を有する土地である。武家屋敷通りは国の重要伝統的建造物群保存地域に指定されている。
 飫肥城の大手門を出て左手に向かうと、道路こそは舗装されているが、約200メートルほど続く道の両側に、武家屋敷の面影を残す建物や石垣、瓦塀が並ぶ。当時の武家屋敷の特徴は間口が広いことであり、一軒の塀が長く続く。
 その中には明治の外務官僚を務めた小林寿太郎生家、飫肥藩を収めた旧伊東伝衛門家(19世紀初めの建築)や旧藩校である振徳堂がある。それぞれが1戸平均900坪の広い敷地を持つ。
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堀川運河 Horikawa-unga 

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 堀川運河は宮崎県日南市油津に位置する。日南市の油津港と広渡川を結ぶ。運河の完成は、貞享三(1686)年で、工事期間は約2年強かかったという。
 当時、飫肥杉(おびすぎ)の木材を運搬する目的で飫肥藩が水路として開設した。飫肥杉は粘りが強く、水に強い木材であったため、造船用の材料として使われた。運搬方法は、木材をいかだに組んで、堀川を下る方法である。また近くを流れる遠賀川の洪水対策としても考られていた。
 運河に架かる堀川橋(通称乙姫橋)は明治三六(1903)年、名石工、石井文吉によって4年歳月をかけて造られた。船の通り道がアーチ型になった、レンガ造りの洋風感覚で、映画『男はつらいよ』にも登場する町のシンボルである。
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豫章館 Yoshou-kan 

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 豫章館(よしょうかん)は、宮崎県日南市飫肥にある屋敷である。
 明治元(1869)年、元飫肥藩主であった伊東祐帰が城内から移り住んだ屋敷である。この邸内にある樹齢数百年の大楠にちなんで豫章館と名づけられた。
 飫肥城のすぐ脇にあるこの屋敷は、伊東家の家臣・伊東主水が住んでいた。しかし伊東祐帰が知事に任命されたたのをきっかけに主となった。
 この当時の飫肥の典型的な武家屋敷である。広さ約900坪はあるといわれ、伊東家の影響力がよくわかる。
 邸内にある南側の庭にわ「織部燈篭」があり、庭木や石が巧みに配置されており、風情がある。
 現在は入館料を払えば中を見学できるようになっている。
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牧水祭 Bokusui-sai 

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 牧水祭は宮崎県日向市東郷町坪谷で行われる祭りである。東郷町出身の歌人、若山牧水を偲ぶため、毎年9月に行われる。
 若山牧水は明治一八(1885)年生まれで、10代のころ、歌に才能があることを認められ、早稲田大学に入学。その後尾上紫舟(おのえさいしゅう)に師事した。明治四三(1910)年に第2歌集「別離」を出版し、歌の世界「歌壇」に認められた。
 祭りは牧水を偲び、多くのファンが集まる。生家の裏に建てられた歌碑に牧水の好きだった酒を注ぎ、代表作を読み上げる。牧水記念館では牧水の直筆の色紙や歌が展示され、牧水公園の「ふるさとの家」では、短歌の朗詠など大会が開催される。
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都井岬火まつり Toi-misaki hi-matsuri 

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 都井岬火まつりは、宮崎県串間市の都井岬で行われる祭りである。毎年、8月の盆過ぎに行われる。もとは「十五夜柱祭り」と呼ばれていた。
 その昔、大蛇を衛徳坊という僧侶が火攻めで退治した。その伝説を祭りに再現したものである。
 祭りは「串間くるみ太鼓」で幕を開ける。イベントが終わり、20時頃からいよいよメインに入る。「大蛇」のイメージを高さ30メートルの「柱松」に見立て、てっぺんには大蛇の口を藁で表現し、それにめがけて、「とんとことって~えいとくぼう~」の掛け声で松明を次々に投げいれる。松明が見事柱松に命中すると、火の粉が夜空に舞い、祭りのボルテージは最高潮に達する。
 串間市の夏の終わりの風物詩である。
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