NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/3


都井岬火まつり Toi-misaki hi-matsuri 

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 都井岬火まつりは、宮崎県串間市の都井岬で行われる祭りである。毎年、8月の盆過ぎに行われる。もとは「十五夜柱祭り」と呼ばれていた。
 その昔、大蛇を衛徳坊という僧侶が火攻めで退治した。その伝説を祭りに再現したものである。
 祭りは「串間くるみ太鼓」で幕を開ける。イベントが終わり、20時頃からいよいよメインに入る。「大蛇」のイメージを高さ30メートルの「柱松」に見立て、てっぺんには大蛇の口を藁で表現し、それにめがけて、「とんとことって~えいとくぼう~」の掛け声で松明を次々に投げいれる。松明が見事柱松に命中すると、火の粉が夜空に舞い、祭りのボルテージは最高潮に達する。
 串間市の夏の終わりの風物詩である。
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2008/2/29


十五夜火とぼし Juugoya-hi-toboshi 

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 十五夜は毎年旧暦の八月一五日、現代でいうと毎年九月から一〇月の初旬頃にあたる。すすきやお団子をお供えして縁側で中秋の名月を眺める静かな印象だが、地域によっては大変賑やかな風習が残る。
 鹿児島県南さつま市には綱引きや相撲を月に奉納する十五夜行事が伝承されている。準備段階にあたる十五夜を知らせる踊り、口説き唄やお囃子、茅引き、綱ねりなどもすべて行事のひとつであり、集落ごとに少しずつ異なっている。
 坊津町の上ノ坊には十五夜火とぼし(じゅうごやひとぼし)と呼ばれる風習がある。
 綱の材料の100キロほどの茅(かや)を山から持って降りる際に、たいまつをたいて村人に知らせるものだ。
 山の中盤付近で、青年たちが番茅と呼ばれる太く束ねた茅の松明を、火の粉を散らしながらぐるぐる回す。番茅はおよそ一七本ほど。その後口説き歌を歌いながら手分けしてふもとまで運びきる。
 この十五夜火とぼしは「南薩摩の十五夜行事」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2008/1/30


泊十五夜踊り Tomari-juugoya-odori 

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 鹿児島県南さつま市坊津町には綱引きや相撲を月に奉納する十五夜行事が伝承されている。十五夜を知らせる踊り、口説き唄やお囃子、綱の準備、綱引きなど大まかな流れは同じだが、その中で集落ごとに異なるユニークな風習が盛り込まれている。
 泊十五夜踊りは坊津町泊地区の風習だ。十五夜の日の午後三時頃、着物に白いハチマキをした女性が集まり、列になって九玉神社に向かって踊り練りを行う。境内では宮参りののち、輪になって踊りを奉納する。
 夜になると浴衣に着替え直し、また輪になって踊る。
 踊りの輪の中に数回男子が走りこむオドリコワシは昔の男女が触れ合う機会の名残だ。オドリコワシがあっても女性達は動じず踊り続ける。
 踊りの後は男子による十五夜綱引きが行われ、綱の一部をお月様に奉納する意味で先端を川に投げ込む。
 泊十五夜踊りは「南薩摩の十五夜行事」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/11/14


薄(ススキ) Susuki 

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 イネ科・ススキ属の「薄(すすき)」は、日当たりの良い野原や川原などに生息する多年草で、1〜2m程の高さになる。
「芒」とも表記されるが、古くは「尾花(おばな)」と呼ばれ秋の七草の一つに数えられている。また、十五夜の月見には秋の七草の一つの萩(はぎ)と共に、飾られる事が多い。
 日本全国に分布していた薄は、以前は茅葺き屋根の材料や家畜の餌として利用されていたが、近年はその機会も少なくなっているので、草原も稀少なものになっている。
 夏の終わり頃に茎の先端に長さ20〜30cm程の花穂を付け、秋には十数本に分かれたその穂にフワッとした白い毛が生え、草原を白く染めていく。サラサラと風に揺られて聞こえる音は、季節の移り変わりを色濃く感じさせる。
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2007/9/10


ソラヨイ Sorayoi Sorayoi

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 ソラヨイ(十五夜そらよい)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)に伝わる伝統風習であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 五穀豊穣を祈り、土地の神と月に感謝する祭りであるが、発祥については、よく判っていない。
 また、名前の由来は「空が良い」「それは良い」と言われているが、はっきりしていない。
 ソラヨイは、月が出る頃に始まる。田圃に積み上げられたワラ造りの「ワラコズン」の中に人が2人入り、右回りに回し出す。
 中学生までの男の子が「ソラヨイ・ソラヨイ」と囃しながら、ワラみの笠、腰みの、ふんどし姿で、逆方向に廻りながら、素朴で神秘的な踊りを見せる。
 ソラヨイ終了後は、大人・子供にわかれて、3回綱引きをし、その後、ワラを崩して土俵を作り、相撲をとる。
 ソラヨイは、素朴で珍しい、一五夜の伝統行事である。
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2007/6/21


能面 十六 Noumen Juroku Noh Mask Juroku

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 十六(じゅうろく)とは若い武将、平家の公達といった男性を表現する能面の一つである。
 嘉応元(1169)年から元暦元(1184)年に生きた平敦盛をモデルとしている。
 「十六」という名称の由来は、平家物語に描かれる一ノ谷の戦いで熊谷直実に討れ、十六歳の若さでこの世を去った平敦盛の年齢からつけられたとされている。
 若き青年の多感さをかもし出しており、かわいらしいえくぼや、輝かしい瞳、そして女性の面に見られるような上品な雰囲気も特徴である。
 能面「童子」が一五夜の月の面と呼ばれるのに対し、一六夜の月の面とも呼ばれる。
 平敦盛を描いた「敦盛(あつもり)」で使用されるほかに「朝長(ともなが)」「経正(つねまさ)」等の曲に用いられる。
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2007/2/19


十五夜 jyuugo-ya Jugoya, The 15th Night

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 旧暦の8月15日を指す、団子、芋、すすきなどを供えて月見をする行事。中秋の名月。
 中国の中秋節が起源といわれる。日本には平安時代に渡り、宮中での行事となり「観月宴」や「月の宴」と呼ばれ月を眺めて詩を作り雅楽を奏でて楽しんだと言われる。
 民間では「芋名月」とも言われ、秋の収穫物であるだんご、里芋、栗、柿などを供えて豊作を感謝した。
 一ヵ月後の旧暦9月13日は「十三夜」であり、豆や大豆を供えることから「豆名月」とも言われ、十五夜と十三夜両方の月見をしないことを「片月見」として縁起の悪いものとされた。
 地方によってはこの日に、お供え物や畑のものをとってもよいと言う祭があり、秋祭り、収穫祭として広く親しまれている。
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