NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/30


経錦 Tate-nishiki 

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 錦とは経糸(たていと)ないし緯糸(よこいと)に、二色以上の色糸を使って文様を出した華やかな織物を呼ぶ。経錦(たてにしき)も錦の一種であり、二色以上の経糸を一組として裏表を交互に織り出していく手法である。
 錦の中で最も古い歴史を持ち、およそ千二百年前にはすでに織られていたといわれているが、その発祥は今だ定かではない。
 本来は経と緯の糸を両方用いて模様を出していくが、この経錦では、文字通り経糸のみで模様を紡ぎ出す。しかし、色数の多い複雑な紋様を織るには経糸の数を増やさなければならず、その分作業に手間がかかり、配色にも限界がある。そのため、ほとんどの経錦が二重経で織り込まれたものであるが、中には四重経や六重経などの驚くべき技法によるものもある。
 また、単調になりがちな配色に変化をつけるために、地の部分をあらかじめ縞模様にするなど、趣向を凝らすことも多い。
 こうした気の遠くなるような作業を繰り返して完成した生地は、羽織る人に何重もの喜びをもたらす至高の一反となる。
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2008/3/5


ワラ白蓮紋様七寸皿 Warabyakuren-monyo nanasun-zara Wara White Lotus Serving Plate

Jp En

 日本料理の美しさは、世界でも定評がある。それは料理そのものだけでなく、器の選び方に寄るところも大きい。ちょっとした家庭料理でも、風情のある器に料理を盛ると、がぜんおいしそうに見えてくるものである。器ごとに違う微妙な色と形は、自然のあり方をそのまま生活に溶け込ませる日本特有の美学。
 きちんと整形された美しさの対極にある。この「ワラ白蓮紋様7寸皿」も、手作りのため、ひとつひとつ形と色が微妙に違う。蓮の葉の模様が彫りこまれたシンプルな皿は、過分な主張がなく料理が栄える。七寸というのは、直径20・5センチメートル。どんな料理にも使いやすい大きさだ。
 小さな工房で生み出された、この世にひとつだけの器との一期一会。そんな出会いも、人生の彩りとなる。
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2008/2/21


露草(ツユクサ) Tsuyukusa 

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 露草(つゆくさ)は世界中に分布し、日本でも道端でも見られるなど、日常的に馴染みのある植物である。
 可憐な花を咲かせ、日本では古くから親しまれ、歌にもよく詠まれる花である。
 また花を搾った汁は、染料としても使われ、源氏物語「野分」には露草で文様を染める様子が描かれている。
 露草はもともと、月草(つきくさ)と呼ばれており、万葉集には「月草」が九首に詠われて、俳句では秋の季語となっている。朝顔の花のように、朝に咲いた可憐な花は昼にはしぼんでしまうことから、儚さの象徴として詠まれることが多い。
 青い色素は非常に褪せやすく、容易に水で流れ落ちるため、友禅染などの染物の下絵を描くときに利用される。
 暑い季節、朝露にしっとり濡れた青い花が心に残る植物である。
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2008/2/12


旗印染 Hatashirushi-zome 

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 旗印染(はたしるしぞめ)は京都で古くから伝わるもので、旗やのぼりなどに固有名の文字や紋章、記号などを染め出す技術のことである。
 文献によると旗は卑弥呼の時代からすでに登場し、のぼりは応仁の乱には使用されていたと記されている。
 技法は型を使ってのりを置き、染めてからのりを落とす型染め(かたぞめ)という方法で文様をうかび上がらせるものである。
 旗印染は非常に繊細な作業と大胆な作業を持ち合わせた、技術の高い染色方法である。中世に活躍した藍染専門の職人たちを称した紺屋(こんや)が作り上げていったものといわれている。
 その後、時代の遍歴とともに旗印染は旗やのぼり以外に風呂敷、ふくさ、印ばんてん、ゆかた、のれんなど、その用途は広がりをみせ、今日までその技術は京都で受け継がれている。
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2008/1/24


加藤卓男(人間国宝) Katoutakuo 

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 六代・加藤卓男(かとうたくお・1917~2005)は、美濃焼の陶芸家である。色釉(いろぐすり)を施した鮮やかな文様「三彩」の作品で知られる。
 大正六(1917)年、五代・加藤幸兵衛の長男として、岐阜県多治見市に生まれる。多治見工業高校卒業後、京都国立陶磁器研究所陶芸科にて研修を受ける。
 その後広島にて被爆、暫く静養を続け、昭和三〇(1955)年頃より本格的に陶芸を開始、翌年に第一三回日展に入選。
 昭和三六(1961)年、フィンランド政府の招聘を受けフィンランド工業美術学校に留学。中東各地を訪ねた際、ペルシア陶器に興味を持ち、ペルシア古陶の発掘調査に参加するなど、様々な研究により、一七世紀に滅んだラスター彩の再現に成功、また青釉・三彩の研究にも取り組み、異民族文化と日本文化との融合に成功した。
 昭和五五(1980)年、宮内庁正倉院より正倉院三彩の復元を委託され、約九年かけて「三彩鼓銅」「二彩鉢」を完成させる。平成七(1995)年、人間国宝の認定を受ける。
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2007/12/3


文様 縞 Monyou Shima 

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 縞文様(しまもよう)とは、主にシンプルな縦縞で表現される文様を総じてそう呼ぶが、江戸時代までは「しま」という呼び方は無く、条布や筋などと呼ばれていた。
 古来、日本語では縞は筋(すぢ)とされ、渡来品の筋ものを「島もの」と呼んで区別し、後に「縞」の字をあてたとされている。
 縞の細さと数により、千筋・万筋・毛万筋・極筋と呼ばれるが、江戸期の毛万筋と今のそれとはイメージが異なっている。
 平安期、縞模様はそのシンプルさ故に、着物の柄としてはあまり用いられることはなかったが、江戸時代中期頃より、木綿の流通とともに縦縞が流行、庶民の服装へも多く取り入れられることとなり、江戸時代の「粋」を代表する文様ともなった。
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文様 市松 Monyou Ichimatsu 

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 市松文様(いちまつもよう)とは、江戸時代の歌舞伎役者、初代・佐野川市松(さのがわいちまつ)が、白と紺の正方形を交互に配した袴を履き、人気を博した事からそう呼ばれるようになったとされる。
 黒と白、赤と白など異なった二色の正方形を交互に並べた形の文様で、石畳文(いしだたみもん)、霰文(あられもん)とも呼ばれ、シンプルであるがとても美しい。その単純な構図故、古くから工芸品や染織品、桂離宮の襖のような室内装飾など多数用いられている。
 江戸時代以前より存在する模様については石畳模様(いしだたみもよう)と呼ばれていた。
 英語では、チェス盤に例えてチェッカー、チェックなどと呼ばれ、ヨーロッパでも昔から色々なものに用いられてきた文様である。
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文様 矢絣 Monyou Ya-gasuri 

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 矢絣(やがすり)とは、矢の文様を織り出した絣を指し、矢筈(やはず)とも呼ばれ、絣柄のひとつである。他に染め物などでも見ることができる。
 たて糸を段に染め、少しずつずらして矢羽根状になるように織られており、大きい矢絣は若向き、細かいものは年配向きとして、派手な文様から落ち着いた文様まで様々な柄がある。
 非常に古くから使われている文様で、江戸時代には射た矢が戻ってこないことになぞらえ、結婚の際に矢絣の着物を持たせると出戻ることがないと縁起柄ともされていた。
 明治から大正、昭和初期にかけては女学生の制服としても愛用され、今でも卒業式などで時折見られる矢絣の袴姿に、その面影を見ることができる。
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