NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


愛知 洞雲院 Aichi Touun-in 

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 洞雲院(とううんいん)は、知多半島の阿久比町(あぐいちょう)にあり、徳川家康の生母である於大の方(おだいのかた)の遺髪墓があることで知られる。
 平安時代の天暦二(948)年に、菅原道真の孫である雅規(まさのり)が開基となり、洞雲院の前身である天台宗の久松寺を創建。その後、子孫の久松定規が再建したと言われる。久松家は「於大の方」の再婚先であり、近くには久松氏の居城だった阿久比城址がある。
 毎年三月一六日、洞雲院では「おせんぼ」と呼ばれる観音懺摩法会(かんのんせんまほうえ)が行われる。「おせんぼ」は、於大の方が「戦国の女性の哀しみが二度とおきないように」と、洞雲院で女性の幸福将来を祈願したのが始まりと言われている。
 
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2007/10/11


龍華山等覚寺 Ryuuge-zan-toukaku-ji 

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 伊達氏の城下町として発展してきた宇和島。JR宇和島駅の南側を流れる辰野川を挟むようにして、神社仏閣が建ち並ぶ。川辺の路地を上流へしばらく進むと、野川地区の入り口に龍華山等覚寺(りゅうげざんとうかくじ)が見えてくる。敷地には荘厳な墓石が連なる。ここは伊達家の菩提寺として知られる。
 等覚寺は元和四(1618)年、生母の菩提を弔うため初代藩主・伊達秀宗(だてひでむね)が建立。当時は白雲山龍泉寺と号したが、万治元(1658)年に秀宗の墓所となってからは浄妙山等覚寺と改め、さらに安永七(1778)年に山号を龍華山と改称して現在に至る。
 本堂と庫裏は、昭和二〇(1945)年の戦災により焼失したが、鐘楼のある山門だけは残り、わずかに当時を偲ばせる。
 墓には、初代~四代、六代、八代の各藩主のほかに、藩主夫人や殉死した藩士まで葬られている。墓からは宇和島城を望むことができる。
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2007/8/23


緒川城址 Ogawa-jou-shi Ogawa Castle Ruins

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 緒川城(おがわじょう)は水野貞守が文明年間(1469~1487)に築城したと言われる。以来約130年間、水野氏の居城として栄えた。四代忠政の娘で、徳川家康の生母、後の伝通院、於大の方(おだいのかた)が亨禄元(1528)年に誕生した城としても知られ、城址内に於大の方出生地の碑が立っている。
 水野氏の起こりは、全国を放浪していた小川氏の末裔の貞守が、小川村の西南の台地に城を築いたのが始まりである。貞守は尾張東部の水野という地に滞在していた時、姓を「水野」と改めた。そして貞守の子孫の代となった時、いつしか小川の地を「緒川」と改めたようだ。
 水野氏は周囲の織田、松平(徳川)、今川の間で波乱の日々を送った。江戸時代には代々譜代大名として各地の藩主となる。天保の改革で知られる老中水野忠邦はこの子孫にあたる。
 地元の人からは古城(ふじろ)と呼ばれている緒川城址。現在は公園になっており、北側の土塁の一部が残っている。
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2007/8/7


岡崎市 随念寺 Okazaki-shi Zuinen-ji Zuinenji Temple

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 岡崎市の随念寺(ずいねんじ)は、愛知県岡崎市門前町にある浄土宗の寺である。本尊は、阿弥陀如来、千手観世音菩薩。三河三十三観音霊場第2番札所とされる。
 永禄五(1562)年、徳川家康が、祖父・松平清康と清康の妹である大叔母・久子の菩提を弔うために創建された。
 久子は、家康が生母の於大と生別して以来、家康を長い間養育した人である。
 東海道を見下ろす丘陵に建てられた一連の社寺の中でも、幕府の庇護が厚く、城の防衛拠点としての名残りを今も多く残している。
 山門は四脚門(しきゃくもん)で、山門の先には美しい白壁が続いており、一間一戸の楼門が見える。
 岡崎市の随念寺は、長い歴史を誇る、松平・徳川家と家康ゆかりの寺である。
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2007/2/7


護国寺 Gokoku-ji 

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 護国寺は、東京都文京区大塚にある真言宗・豊山派の大本山である。本尊は如意輪観音。
 護国寺は、天和元(1681)年、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で、雑司ヶ谷御薬園に建立された。
 開山は亮賢。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所とされる。
 元禄七(1694)年、綱吉は桂昌院とともに護国寺に参詣し、以来桂昌院は30数度、綱吉は16度に及び護国寺を訪れている。
 護国寺は徳川家に所縁の深い寺であったが、明治になって三条実美がここに墓を建てると、以後顕官、軍人、実業家が競ってここに墓所を定めた。
 また、茶道の総本山としても有名である。
 護国寺は、近代日本との縁も深い、厳かな寺院である。
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