NIPPON Kichi - 日本吉

記事数881件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/11/27


白金自然教育園 shirogane-shizen-kyoikuen 

Jp

 白金自然教育園(しろがねしぜんきょういくえん)は、東京都港区白金台にある20ヘクタールの自然園である。正式には、国立科学博物館・附属自然教育園という。
 元々は白金長者と呼ばれる豪族の館であったという。その後、江戸時代に高松藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)の下屋敷となり、明治に入ると陸海軍の火薬庫に、やがて白金御料地となった。
 この間、一般の人々は中に入る事ができなかったため、都内でもまれに見る豊かな自然が残された。
 昭和二四(1949)年、全域が国の天然記念物および史跡に指定され、同時に一般に公開されるようになった。
 森林・草原・湖沼など多彩な環境における種々の生物が見られ、自然の保護と自然観察を目的とし、昭和三〇年代の武蔵野の自然のありのままの姿を残している。
 白金自然教育園は、東京都心部に残る自然のオアシスである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/11/7


掛川祭 kakegawa-matsuri 

Jp

 静岡県掛川市の掛川祭(かけがわまつり)は、余興と屋台曳き回し、そして獅子舞が繰り広げられる祭りで、毎年10月第二週の週末に行われている。
 掛川城下の龍尾神社・神明宮・利神社・池辺神社・津島神社・白山神社・貴船神社の七社四一町合同で行われ、こうした屋台と獅子舞という組み合わせの原型は江戸時代に遡る。
 長唄・端唄・小唄等の手踊りやお囃子に合わせ、二輪屋台(にりんやたい)と呼ばれる御所車型の神輿を曳き廻し、華やかさを競い合う。
 三年に一度の干支の丑、辰、未、戌の年は掛川大祭(おおまつり)にあたり、日本一の大きさを誇る「仁藤の大獅子」をはじめ「西町の奴道中」「瓦町のかんからまち」などの三大余興が披露される。
 中でも伊勢太神楽系の獅子舞である「瓦町のかんからまち」は静岡県の無形文化財にも指定されており、江戸と上方を往来する東海道の中間点であったこの地の歴史の深さを垣間見せ、今も城下町掛川宿の文化と伝統を色濃く残している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/10/30


大磯宿 Ooisojuku 

Jp

 大磯宿(おおいそじゅく)は、東海道五十三次の宿場のひとつ。現在の神奈川県中郡大磯町にあった。
江戸時代に徳川家康が宿場制度を成立、日本橋から京都までの幹線道路として東海道を整備した際に53箇所敷設した宿場のうち、大磯宿は日本橋から8番目の宿場として作られた。
 日本橋からは66kmの距離にあり、もし徒歩なら16時間ほどかかることになる。大磯宿は、両隣の平塚宿と小田原宿の間が東海道でも有数の近距離になるため、宿泊者が少なかったようである。
 現在、宿場町としての名残をとどめるものは数少ないが、山王町の旧東海道と国道1号の松並木は往時を偲ばせる。旧東海道の「化粧坂(けわいざか)」付近の風景は、安藤広重が浮世絵「東海道五十三次・大磯虎ヶ雨」に残している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/10/2


山之口麓文弥節 Yamanokuchi-fumoto-bunyabushi 

Jp

 宮崎県都城市山之口町に伝わる人形浄瑠璃。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 この地に伝わったのは、江戸時代に薩摩藩の郷土にあたる人物が、参勤交代のとき京、大阪から人形芝居を習い、地元で言い伝えたのが始りとされている。
 「文弥節」は語り調子のことで、三味線に合わせて歌いながら物語が進んでいく。
 現在保存されている人形は27体。江戸時代、明治時代のものが今でも残っている。人形の背面の帯下の穴から両手を差し込む。左手で胴串を握りながら人形の左手を操る。右手は人形の右手を操作する。これらは「舞台」と呼ばれる高さ125センチの下から客席に見えないように人形だけを上に出して操作される。
 「太郎」と呼ばれるのろまな役の人形は舌と目が動く凝ったもの。年4回ほど定期的に公演が行われる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/10/1