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2007/10/31


如意輪寺 Nyoirin-ji Nyoirinji Temple

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 如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺である。
 延喜年間(901〜923)、文章博士三善清行の子で、日蔵道賢上人の草創とされる。本尊は如意輪観音。
 1336年、南北朝の戦いに敗れて吉野に行宮を定めた後醍醐天皇の勅願所となった。
 後醍醐天皇の没後、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣する前に、やじりで堂の扉に辞世の歌を刻んだことでも知られている。
 慶安3(1650)年、文誉鉄牛上人が来て、本堂を再興し、真言宗を改めて浄土宗となった。
 如意輪寺には、南朝時代の寺宝や忿怒の姿を表した蔵王権現像、日本最大の寝拝観音「ねおがみ観音」など、歴史的に貴重な品が数多く展示されている。
 如意輪寺は、そこにいるだけで歴史を体感出来る、伝統の寺院である。
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2007/5/29


空海 Kuukai Kukai

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 空海(くうかい)は、中国から密教を伝えた日本真言宗の開祖である。書道家としても、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆の一人と言われる。
 宝亀五(774)年、四国の善通寺近くにて生誕、奈良の大学で学ぶが、儒学では社会の矛盾を解決できないと悩み、空海と名乗り修験者となる。
 延暦二三(804)年、最澄らと中国へ渡り、文化・宗教などを学び、翌年、密教の頂点に立つ青龍寺の恵果を訪れ、密教を継承。二年後に帰国、高雄山寺にて真言宗を興し、中国で学んだ知識を活かして各地で土木工事の指揮を取り、書道や絵画・彫刻の才能を発揮し、宗教家・社会事業家・芸術家として精力的に活動したが、承和二(835)年、3月21日に高野山にて病死する。
 天安元(857)年、文徳天皇は空海に大僧正の号を遺贈する。
 延喜二一(921)年、醍醐天皇が空海に弘法大師の諡号を贈る。
 弘法大師空海は、平安以後の日本仏教に多大な影響を与えた、数多くの伝説を持つ高僧である。
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2007/5/24


防府天満宮 Houfu-tenmanguu 

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 防府天満宮(ほうふてんまんぐう)は山口県防府市にある、菅原道真を学問の神様として祀る天満宮である。
 菅原道真がなくなった翌年の延喜二(904)年、日本で最初の天満宮として創建された。
 京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで「日本三天神」に数えられている。
 境内は五〇種類、一一〇〇本もの紅梅白梅が植えられ、毎年見事な花をつけ、花見客でにぎわう。
 二月には牛替神事(うしかえしんじ)、八月は御誕辰祭(ごたんしんさい)、十月は花神子社参式(はなみこしゃさんしき)、一一月は御神幸祭(ごじんこうさい)など、一年中、お祭りで賑わい、人が絶えることのない天満宮である。
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2007/5/8


土佐和紙 Tosawashi Tosa Washi Paper

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 土佐和紙は、平安時代の記録である「延喜式」にその名があり、天皇への献上品として、約1000年前には製造されていたと考えられている。
 水と原料に恵まれ、江戸時代には、土佐七色紙が創作され、幕府への献上品として藩の保護を受け、土佐の主要な特産品としてますます発展した。
 明治以降、洋紙が各地で生産されるようになると全国的に手すきの和紙製造は衰退したが、手すき和紙は今でも根強い人気があり、中でも土佐和紙は種類の豊富さと品質の良さで有名である。
 土佐典具帖紙や土佐清帳紙は国の無形文化財として指定されており、昭和51年12月には「土佐和紙」という名称で高知県の手すき和紙全体が国の伝統工芸品として指定された。
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2007/4/20


大生郷天満宮 Oonogoutenmanguu 

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 大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう)は、茨城県常総市大生郷町にある菅原道真を祀る神社である。
 延長七(929)年、菅原道真の第三子、景行が父、道真を祀ったのが創建と伝わっている。
 延喜三(903)年に道真が大宰府に没した後、景行は父の遺言を奉じて諸国を遍歴した後、この地に遺骨を祀った。
 御廟天神ともいわれ、太宰府天満宮、北野天満宮と並び、菅原道真を祀る日本三大天神のひとつとされる。
 神徳は学問・書道・道徳・人生教訓・子育てなどだが、一番有名なのは受験の神としてである。
 毎年1月25日の初天神祭には、合格祈願の参拝客達で大変なにぎわいを見せる。また、近くには景行を祀る三郎天神社もある。
 大生郷天満宮は、学問・受験の神として厚く尊崇されている。
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2007/4/19


三嶋大社 Mishima-taisya Mishima Taisha Shrine

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 三嶋大社は、静岡県三島市大宮町にある神社である。祭神は大山祇命、積羽八重事代主神とされ、二神を総じて三嶋大明神と称している。
 創建の時期は不明であるが、三宅島、下田・白浜海岸、大仁町、現在地と遷宮したとの伝承がある。古くより三島の地に鎮座し、平安時代の「延喜式」には、「伊豆国賀茂郡・伊豆三島神社」として記載されている。
 現在の三嶋大社は、平安中期以降に田方郡の国府の近くに新宮として分祀されたものである。
 現在地には元々若宮八幡があったが、三島明神が若宮八幡から所領を譲られたと言われている。
 源頼朝は伊豆流刑時代から三嶋大社を崇敬し、鎌倉幕府制立後も大社を重んじたという。
 中世以降は暦を発行し、「三島暦」として全国に知られている。
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神部神社 浅間神社 Kanbe-jinjya Asama-jinjya Kanbe Shrine / Asama Shrine

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 神部神社と浅間神社は、静岡県静岡市葵区にある神社である。同じ場所にある大歳御祖神社と合わせて、静岡浅間神社といわれる。
 神部神社は、駿河国開拓の祖神大己貴命を祭神として祀っている。崇神天皇の時代(紀元前100年頃)の鎮座と伝えられる。
 国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされていた。
 浅間神社は、木之花咲耶姫命を祭神として祀っている。延喜元(901)年、醍醐天皇の勅願によって富士山本宮より勧請され、以来冨士新宮として続いてきた神社である。
 その広壮華麗な社殿や宝蔵群は、「東海の日光」と呼ばれており、素晴らしい迫力である。
 神部神社と浅間神社は、共に古い歴史を持つ別々の神社であり、現在でも「おせんげんさま」として深く信仰されている。
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2007/4/16


埼玉 氷川神社 Saitama Hikawa-jinja Omiya Hikawa Shrine

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 埼玉の氷川神社(大宮氷川神社)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある神社である。祭神は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命とされる。
 延喜式神名帳でも名神大社に列している古社である。
 埼玉県・東京都・神奈川県各地の280を越える氷川神社の本社であり、社伝によれば2400有余年前の考昭天皇時代の創立とされている。
 この一帯は出雲族が開拓した地であり、社名の氷川も出雲の「簸川」に由来するという説がある。
 東京奠都の際、明治天皇が勅祭社と定め、明治元(1868)年、親祭を行った。以来、例祭には勅使の参向があり、宮内庁楽師による歌舞が奉納される。
 大宮氷川神社は、初詣の人出は毎年全国10指に入るほどの人気であり、まさに地域を代表する神社といえる。
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