NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/3


豫章館 Yoshou-kan 

Jp

 豫章館(よしょうかん)は、宮崎県日南市飫肥にある屋敷である。
 明治元(1869)年、元飫肥藩主であった伊東祐帰が城内から移り住んだ屋敷である。この邸内にある樹齢数百年の大楠にちなんで豫章館と名づけられた。
 飫肥城のすぐ脇にあるこの屋敷は、伊東家の家臣・伊東主水が住んでいた。しかし伊東祐帰が知事に任命されたたのをきっかけに主となった。
 この当時の飫肥の典型的な武家屋敷である。広さ約900坪はあるといわれ、伊東家の影響力がよくわかる。
 邸内にある南側の庭にわ「織部燈篭」があり、庭木や石が巧みに配置されており、風情がある。
 現在は入館料を払えば中を見学できるようになっている。
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2008/9/12


藩校明倫館跡 Hankou-meirinkan-ato 

Jp

 藩校明倫(めいりん)館跡は、山口県萩市江向にある藩校跡である。国の史跡に指定されている。
 明倫館は萩藩上級武士の子弟の教育機関として、享保四(1719)年、長州藩主・毛利吉元が城内三の丸に創建し、幕末の嘉永二(1849)年、毛利敬親が現在地に移した。
 当時、明倫館は水戸の弘道館、鹿児島の造士館と並んで天下三館の一つと呼ばれるほどの藩校と言われていた。
 敷地は1万5000坪と広大で、萩商高、萩裁判所の辺り一帯にまで及んだが、慶応三(1867)年、藩校としての明倫館は廃止された。
 現在は小学校となっており、敷地内に有備館、水練池、聖賢堂、観徳門のみが残っている。
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2007/5/24


上ノ国の中世の館 Kaminokunino-chuseino-tate Kaminokuni Fort-Mansion

Jp En

 北海道道南の日本海に面する上ノ国町には、「館(たて)」と呼ばれる中世の山城の跡が残る。
 上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
 勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
 上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
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2007/1/26


尻八館 Shirihachi-date Shirihachi-date Fort

Jp En

 小高い山の山頂部に築造された中世の山城。標高180mの山頂に位置し、堀・腰郭・土橋などが見られる。
 発掘調査により13世紀後半から15世紀後半に作られた中国製陶磁器が数多く見つかり、特に「青磁浮牡丹文香炉」は、青森県内でみつかった陶磁器の中で最も優れたものと言われている。
 昭和53〜54年にかけて行われた発掘調査で、堀跡の解明や生活用具など総数1800点にのぼる遺物が発見され、その質の高さは、津軽の中世史に新たな局面を開くこととなった。
 現在、県立郷土館に展示してある遺物を見ると、中世における東アジア交易の逸品が並んでおり、「辺境」のイメージとは程遠い遺跡の姿を見せてくれている。
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