NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/29


天念寺耶馬 Tennen-ji-yaba 

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 天念寺は、六郷満山の中山本寺(なかやまほんじ)で、養老二(718)年に仁聞菩薩によって開基されたと云われる。平安・鎌倉時代には他の寺院と同様に修験と祈願の寺院として繁栄。鎌倉時代の元寇の際には、満山寺院の僧を集めての戦勝祈願の法要が盛んに行われたとも伝えられている。現在でも六郷満山古来の正月行事である「修正鬼会」が受け継がれている。
 天念寺の前を流れる長岩屋川には川中の巨岩に不動三尊が刻まれているが、この川は幾度となく氾濫を繰り返したため、水害除けに刻まれたと伝えられている。
 このように天念寺周辺は風雨などで浸食された奇岩・巨岩がそびえ立つ景勝地で、その美しさから「天念寺耶馬」や「都合耶馬」と呼称され、人々に広く愛されている。耶馬と言われる様に、木々の上に突き出た岩場を見ると、まるで馬が暢気にしゃがんでいるかのような姿が浮かんでくる。
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2007/11/5


飯野山(讃岐富士) Iinoyama(Sanukifuji) Mt. Iinoyama (Sanuki Fuji)

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 飯野山(いいのやま)は四国の讃岐平野にあり、香川県丸亀市と坂出市にまたがる円錐形の美しい山である。標高は約422メートル、別名・讃岐富士(さぬきふじ)と呼ばれている。
 飯野山はその見栄えのよさから多くの歌人が歌に詠んでいる。古くは西行法師や高浜虚子が、近年では昭和天皇が「暁に駒をとどめて見渡せば讃岐の富士に雲ぞかかれる」と詠まれ、頂上にはその歌碑が建てられている。
 山中ではフジ、ボタン、ハギの花々など四季折々の植物を楽しむことが出来る。また、山頂までの道のりには巨石や巨岩が連なる「おじょもの足跡」がある。おじょもとは昔話の大男の名で、この大男が残したものだという言い伝えがある。
 山頂からの眺めは素晴らしく、猫山、大高峰、大麻山など、讃岐平野の山々の連なり、遠くには瀬戸内海や瀬戸大橋も見ることが出来る。
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2007/10/31


枯木灘 Kareki-nada The Karekinada Sea

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 枯木灘は和歌山県西牟婁郡すさみ町に面した白浜町と串本町の間にあるリアス式海岸線を指す。
 その枯木灘にある周参見(すさみ)港は、熊野灘の中で潮や波が荒れても寄航できる唯一の港として、古くから知られている。
 この灘の名は、熊野灘を航行する船にとって、休むべき木陰(港)がほとんど無く枯木ばかりであるという意味からであるとも、または強風と強い潮で木々が枯れるほどの荒海から来た名前であるともされる。
 熊野古道、大辺路の一部となっている海岸線は、巨岩、奇石が連なる景勝であり、断崖と荒磯が続くために険しい山道であるが、高所からの眺望は大辺路随一の景観と言われる。
 作家、中上健次の著書、「枯木灘」の舞台としても知られる。
 昭和四十三年に熊野枯木灘海岸県立自然公園の指定を受け、自然保全に力が入れられている。
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2007/10/15


山田薬師 Yamada-yakushi 

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 奈良時代の僧・行基によって開かれたとされ、新四国曼陀羅霊場・第五三番札所でもある善福寺(ぜんぷくじ)。そこには日本三大薬師のひとつ「山田薬師(やまだやくし)」がある。
 天平年間(729~749)、宇和に天然痘が流行し、多くの死者が出た。困った群主が神に祈りをささげると、行基にすがるようにと告げられ、群主は行基に仏像の彫刻を依頼した。彫り上げられた薬師如来像を山田に安置すると、猛威を振るっていた天然痘はぴたりと止んだという伝説が残る。
 行基は後に朝廷より菩薩の称号が与えられ、行基菩薩と言われるようになった。安置されている薬師如来像は行基菩薩作とされている。
 また、昭和三八年の豪雨で本堂脇の岩山が崩れ落ちた際、本堂は岩の下敷きになったが、像はお堂の外に飛び出し傷一つなく無事だったという話も残る。巨大な岩は今も本堂のすぐ傍にある。
 四月八日の「花祭りの日」には屋根を花で飾った花御堂が作られ、家内安全・無病息災を祈願する人たちで賑わう。
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2007/10/12


石老山 Sekirou-zan 

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 石老山(せきろうざん)は、神奈川県相模原市相模湖町にある標高695mの山である。
 神奈川県の北の端、東京都と山梨県との県境近くにある相模湖は、相模発電所と共につくられた人造湖で、昭和二二(1947)年に完工した。
 石老山はその相模湖に面してそびえている山のひとつで、山の中腹には平安朝時代に建立されたと言い伝えられる、真言宗の顕鏡寺(けんきょうじ)がある。
 この山は、数多くの奇岩、巨岩に富んでおり、そのひとつひとつに伝説があり、相模湖と併せて大変神秘的な山とされる。
 山頂からは丹沢山塊と富士山の眺望が得られ、石老山から北東に延びる尾根上の大明神展望台からは、相模湖をはさんで対岸の生藤山などが良く見える。
 石老山は、奇岩径石で人気のある静かな山である。
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2007/10/11


小田深山渓谷 Oda-miyama-keikoku 

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 「小田深山(おだみやま)渓谷」は、県立自然公園四国カルスト内にあり、本流だけで10kmに及ぶ。標高1000m以上の高地には手つかずの自然が多く残され、澄み切った川の流れや樹木、野鳥、昆虫などを見ることができる。春は新緑、夏はキャンプ、秋は紅葉、冬はスキーと、四季を通じてレジャーを楽しめる。
 渓谷沿いには、約1・5kmの遊歩道が整備されており、見どころが多数点在する。度重なる激流で巨岩が一回転して現在の位置に納まったと伝えられる「廻り岩」、大蛇が住むという言い伝えが残る「安芸貞渕(あきさだぶち)」、高松宮さまが1966年に訪れた際に名付けられた「藤見河原」などは見逃せない。これらの見どころは「深山七不思議」として案内板で紹介されている。
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2007/9/10


犬城海岸と馬立の岩屋 Injoukaigan-to-madate-no-iwaya 

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 犬城海岸(いんじょうかいがん)は、鹿児島県熊毛郡中種子町に広がる、自然の奇岩・巨岩や洞窟が続く種子島屈指の景勝地である。
 馬立の岩屋(まだてのいわや)は、その犬城海岸の北端にある洞窟である。
 犬城海岸という名は、修験道の犬神使いであった10代島主種子島幡時が修行した地がこの辺りであった事から付けられたという。
 馬立の岩屋も修行地の一角で、中は広いほら穴であり、奥には鳥居と祠が建っている。
 伝説では、幡時は犬のように崖をかけ上り、飛び降りるという天犬の兵法の修行をしていた。
 しかし修行中、幡時は岩屋の中で行方不明になり、主人を待つ馬がいつまでも立っていた事から、以後、馬立の岩屋と言われたという。
 犬城海岸と馬立の岩屋は、不思議な伝説に彩られた場所である。
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2007/8/15


群馬 三波石峡 Gunma Sanba-sekikyou Sanbaseki Gorge

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 三波石峡(さんばせききょう)は、群馬県藤岡市と埼玉県児玉郡神川町に跨って広がる渓谷である。国の名勝および天然記念物に指定されている。
 江戸時代末期には既に、各々名前のついた奇岩からなる「銘石四十八石」が存在し、各地から三波石峡を訪れる人も多かったという。
 一帯は断崖絶壁が連続し、その間に、緑色の結晶片岩が露出している。地質学上、非常に貴重な場所とされ、小藤文治郎が三波川一帯で発見した結晶片岩を三波川結晶片岩と命名、後に三波川変成帯の名の元となっている。
 緑、黄、白が織りなす美しい模様の三波石と神流川、1.5kmにも渡り点在する巨岩と奇岩怪石が織りなす自然の姿は神秘的で、四季折々の素晴らしい景観を楽しめる。
 三波石峡は、珍しい石と奇岩が織りなす名勝地である。
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