NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/22


芦別岳 Ashibetsu-dake Mt. Ashibetsudake

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 芦別岳は、北海道の中央南部に聳える夕張山地のほぼ中央に構える雄峰である。
 標高は1727m。名だたる名峰の多い夕張山地の最高峰である。その山容は鋭角的で、道内でも唯一の岩稜の山としても知られている。
 また、天高く聳えるその岩山に、スイスのマッターホルンの姿を見出す人もおり、険しい山容に魅了された多くの登山者たちを惹きつけてやまない。
 登山道は一旦北の尾根に出て、そこから尾根伝いに頂を目指す旧道コースと、西の尾根伝いに比較的まっすぐな道が伸びる新道コースの二つがある。
 この山が初めての場合や、あまり登山に時間を避けない場合は、新道が最適だ。旧道は距離も長く、沢越えや尾根のアップダウンを乗り越えていく必要がある。とはいえ、この山の魅力を思う存分堪能するならば、やはり旧道コースがお勧めだ。
 北から頂へ伸びる尾根からの絶景は、今までの苦労など全て吹き飛ばしてくれ、さらに頂を目指す楽しさをもたらしてくれるだろう。
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2007/6/19


豊似岳 Toyoni-dake Mt. Toyonidake

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 豊似岳(とよにだけ)は、北海道幌泉郡えりも町にある標高1105mの山である。
 トヨニとは、アイヌ語で「沼のあるところ」の意味であり、麓にある豊似湖に由来する。
 長大なる日高山脈主稜上最南端に位置し、ダケカンバ、ハイマツが茂り、端正な山容を誇る。
 稜線は日高らしくやせ、鋭い。えりも町の市街から眺めると衛峰のオキシマップ山が一枚目、その後ろの豊似岳が二枚目に見えることから、二枚岳とも呼ばれる。
 冬の山頂からは、一気に太平洋に落ち込んでいく襟裳岬を中心とする海岸線の眺望が良く、振り返ると日高山脈の主稜線の山並みが重畳と続く絶景となっている。
 山中ではエゾシカが群れをなしており、冬期にはエゾシカ狩猟期間があるので登山者は注意が必要とされる。
 豊似岳は、勇壮で豪快な眺望を誇る山である。
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2007/4/12


岩手山 Iwate-san Mt. Iwate

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 岩手山は、岩手県最高峰、東北、奥羽山脈北部の山。標高は2038メートル、二つの外輪山からなる複式火山。奥羽山脈の主稜からは離れており、独立峰にちかい形態である。
 盛岡側から見る姿は「表岩手」、松尾村側から見る姿は「裏岩手」と呼ばれ、その表情が全く異なる。静岡県側から見た富士山に似ており、その片側が削げているように見えることから「南部片富士」とも呼ばれる。
 休火山で、過去12回も噴火を繰り返し、1719年の噴火がもっとも最近のもの。その後今日にいたるまで大きな活動はひそめている。
 2つの火山が合体して岩手山を形成しているため、東側と西側では違う顔を見ることができ、東の美しい裾野、西の荒々しい岩稜と、神秘的な二面性をもって見下ろしている。
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2007/3/13


四稜郭 Shiryou-kaku Shiryokaku Fort

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 四稜郭(しりょうかく)は、北海道函館市陣川町にある堡塁。国指定史跡となっている。
 四稜郭の名は、蝶が羽を広げたような四稜の突角を有する形から付けられたものである。
 明治元年、五稜郭を占拠した蝦夷共和国(箱館政権)だが、翌年からの明治政府軍の攻撃により後退を余儀なくされた。
 明治2(1869)年、主戦場となる函館近郊を一望でき、五稜郭を防御するため築造されたのが、洋式築城法に基づく堡塁である四稜郭である。
 大鳥圭介あるいはブリュネ大尉の指揮の下、脱走軍兵士200名と付近の住民約100名を動員して、2週間ほどで急造した。
 しかし、実戦では新政府軍の総攻撃により、わずか数時間で陥落したといわれている。
 現在は、復元された土塁だけが残り、一帯は公園となっている。
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戸切地陣屋 Hekirichi-jinya The Ruin of Hekirichi Jinya

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 戸切地陣屋(へきりちじんや)は、北海道北斗市野崎にあった陣地である。1965年、国指定史跡とされる。
 安政2(1855)年、幕府の命により、蝦夷地防衛強化策として築かれた松前藩の陣地である。
 基本は蘭学の築城書による四稜堡で、大砲六門を据え、宿舎22棟を建て、約120人で守備していたという。
 明治元(1868)年、箱館戦争で幕府脱走軍の進撃にともない、守護隊の手によって火を付けられ、放棄された。
 現在、建物跡はきれいに整備されて残っており、その一つ一つに、詳しい説明がついている。
 また、この陣屋跡に続く道は上磯町を代表する桜の名所として知られ、「陣屋桜」として名高い。
 戸切地陣屋は、当時の国際情勢を窺える、資料価値の高い築城史跡である。
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2007/3/9


文蔵の滝 Bunzou-no-taki The Bunzonotaki Waterfall

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 文蔵の滝は和歌山県かつらぎ町、四十八瀬川の上流に位置する滝である。
 鍋割山稜を源流とする四十八瀬川にかかる、高さ15メートルの瀑布。両岸を絶壁にはさまれた、くの字型の渓谷の奥に位置し、手前の社からでは全景を眺めることが出来ない。
 狭い谷間の滝の下から仰ぎ見る滝の姿は荘厳で、見るものを圧倒させる。
 平安時代末期、文覚上人が荒行を治めた場所と伝えられ、修験道の修行の場としても使われていた。現在でも参詣に訪れる人や滝に打たれに修行に訪れる人が絶えない。
 紀の国名水百選の一つであり、清流の涼水は訪れる人の喉をうるおしている。
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2007/2/5


中山仙境 無明橋 Nakayama-senkyo Mumyo-hashi Nakayama-Senkyo Mumyo Bridge

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 国東半島にあり、夷耶馬(えびすやば)と呼ばれる岩稜の険しい山域の一角にある中山仙境は、標高317メートルで、登山口からの高低差も200メートル程。無明橋まで30分、高城まで1時間、周回で2時間程の登山コースとして知られている。
 途中にある無明橋は橋の中央部で2枚の石の板が合わさっている石橋。岩と岩の間に掛かった石橋は幅40センチメートル、長さ3メートル程の橋。一瞬、不安に駆られるが、里の方を見下ろすと足を止めてしまうほどの景観が広がっている。山頂の高城(夷耶馬)からは、360度の大展望が広がる。
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2007/1/26


五稜郭 Goryoukaku Goryoukaku Fortress

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 江戸時代末期に現在の北海道函館市に建造された城郭。当時の正式名称は亀田役所土塁。日米和親条約締結による函館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するために、徳川幕府の征夷大将軍の命により築造された。
 大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置している。
 当初は外国の脅威に立ち向かうために築造が計画されたが、脅威が薄れていくとともに築造の目的が国家の威信になった。
 大正十一(1922)年に国指定史跡となり、第二次世界大戦後の昭和二十七(1952)年には特別史跡に指定され、現在は、サクラの名所としても知られている。
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